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道弁連大会

議案第2号(決議)

北海道の検証報告書を踏まえ,ハンセン病問題を風化させず,今後も取組みを継続することの宣言

2001(平成13)年5月11日の熊本地方裁判所判決を受け,国は,その翌年に「ハンセン病問題に関する検証会議」を立ち上げ,同検証会議は2005(平成17)年3月に最終報告書を提出した。その内容を踏まえて「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定・施行され,元患者の方の福祉の増進,名誉の回復等の促進が図られた。

北海道は,2010(平成22)年5月に「北海道ハンセン病問題を検証する会議」を設置し,同検証会議は元患者の方々からの聴き取り等を踏まえた「北海道ハンセン病問題検証報告書」を,本年6月8日付で公表した。この報告書は,90年にわたって隔離政策を続けて来た国はもとより,国の誤った政策を無批判に受け入れて,1909(明治42)年以降523名の道内出身者を療養所に送り,自ら隔離施策を続けてきた北海道の責任をも明確に認めている。また,われわれ法律家についても,1996(平成8)年の「らい予防法」の廃止以前から,ハンセン病が早期治療により治癒する病気であること,隔離収容が人権侵害であることなどの認識を持つことが可能であったにもかかわらず,「らい予防法」の早期改廃に向けた対応をとることなく「法」による人権侵害を許容して来た責任は重大であると,明確に指摘している。われわれも,この指摘を真摯に受け止めなければならない。

当連合会も,2005(平成17)年3月に「考えようハンセン病問題 道内出身者が語る『奪われた人間の尊厳』」(道弁連人権ブックレットNO.1)を出版し,これを道内の中・高校生へ配布したり,旭川や札幌などで市民集会を開催したりするなど,微力ながら,ハンセン病問題を多くの道民に知っていただく取り組みを行ってきた。

しかしながら,長期間にわたる強制隔離政策という人権侵害の問題につき,国民,道民全体で認識を共有できたとは言い難く,未だに根強い差別と偏見が残ったままであって,元患者らの真の被害回復に向けた道のりは未だ遠いと言わざるを得ない。

1955(昭和30)年当時には1万人を超えていた全国各地の療養所の入所者は,現在2318名(本年2月現在)まで減り,平均年齢が81.5歳に達している。入所者は,国立療養所の統廃合,医療体制の削減に対する不安等を抱えており,また,生きている間に,家族,故郷,地域との交流などをはじめとした被害回復が図られることを強く願っている。

当連合会は,国及び北海道に対し,下記の点を要望するとともに,「北海道ハンセン病問題検証報告書」の内容を踏まえ,ハンセン病に対する誤った差別と偏見の下,強制隔離政策によって重大な人権侵害が長年にわたって続けられてきたという事実を正確に知り,深く認識し,今後とも,ハンセン病をめぐる問題の真の解決を図るため,北海道とも共同しつつ,継続的な取り組みを行うことを宣言する。

1 国及び北海道は,道内出身者が多く入所している国立療養所松丘保養園をはじめとする全国各地の療養所の存続,及び,今後の医療体制の充実・維持に向けて積極的かつ継続的に取り組むこと
2 北海道は,「北海道ハンセン病問題検証報告書」の内容を,できるだけ多くの道民に知ってもらうための方策をすすめること
3 北海道は,入所者やその家族の意向を継続的に聴き取り,必要適切な対応を行なうこと,及び,そのための適正な予算措置を講ずること
4 北海道は,今後再び同様の差別・偏見が生じないよう,再発防止を含めた人権教育を拡充していくこと,そのために,必要に応じて当連合会等との連携を図ること

2011(平成23)年7月22日
北海道弁護士会連合会

提 案 理 由

  1. ハンセン病問題に関する歴史的な経緯と問題状況
    (1) ハンセン病は,らい菌という細菌による感染症の一種であるが,感染力は弱く,たとえ感染しても発病することは極めてまれであり,生命にかかわることもほとんどなく,抗菌剤治療で完治する病気であることから,もともと隔離を必要としない病気であったと考えられている。日本国内では,明治以降,国の経済状態の発達に伴い,新たに発病する人数は自然に減少し続けていた。現在の日本の衛生状態,医療状態の下では,発病することはほとんどなく,近年における新規患者はごく少数である。

    全国13か所の国立療養所,2か所の私立療養所の入所者や社会で生活する元患者の方々も,ハンセン病自体は完治しているが,その後遺症等に苦しめられてきた。
    (2) 日本では,古くからハンセン病を「らい」と呼び,天刑病,不治の病などの怖い病気とされてきた。

    国は,1907(明治40)年に「癩予防ニ関スル件」を制定し,野外生活を営むハンセン病患者を,欧米人の目に触れないように療養所に隔離しようとした。昭和初期には軍国主義が台頭する下,国民は兵士・戦力として位置づけられる一方,1931(昭和6)年には「癩予防法」(旧法)が制定され,ハンセン病患者の存在そのものが「国益に反する」として,野外生活者のみならず在宅患者をも隔離収容する政策が進められた。

    警察や軍が強制収容を実施したり,患者の家に消毒薬がまかれたりすることで,ハンセン病は怖い病気ということが,国民の意識に潜在的に植え付けられていった。
    (3) ハンセン病は死に至る病ではなく,1940年代には治療薬も開発され,戦後には国内にも普及した。ところが,日本国憲法の施行後においても,1951(昭和26)年に「らい予防法」(新法)が制定され,ハンセン病患者の隔離政策は引き続き継続された。かかる隔離政策の背景には,人間の存在価値を「国益」や「社会的有用性」にのみ求め,病者や障害者の自立した人格や尊厳を否定する誤った認識があった。

    特筆すべきは,わが国におけるハンセン病隔離政策は,病状や年齢等にかかわらず,ハンセン病罹患が疑われる場合をも含めて,療養所に収容して生涯隔離するという,世界にも類を見ない「絶対隔離・患者絶滅政策」であったことである。

    療養所に収容された人々は,入所時に氏名を変えさせられ,逃走を防ぐために所持金は取り上げられ,療養所内でしか通用しない貨幣を渡されることもあった。療養所では,十分な医療や介護が行われず,入所者には「患者作業」と呼ばれる看護,介護,家事,農工作業等のさまざまな労働が強制された。戦時中は防空壕掘りにも駆りだされた。その結果,多くの入所者が症状を悪化させ,重い後遺症を遺すこととなった。また,子どもを産み,育てることも禁じられ,男性入所者には断種手術が施され,女性入所者が妊娠すると堕胎が強制された。入所者は外出を厳しく制限され,病気が治っても退所して社会で暮らすことが認められなかった。
    (4) 戦前(1930年代から戦中期に至るまで),戦後(1949年以降)における官民一体となったいわゆる「無らい県運動」も,日本の隔離政策の重大な特徴であった。警察や保健行政機関のみならず,教育現場,地域住民の組織までもがハンセン病患者の発見,通報,収容促進の役目を担わされ,その過程でハンセン病は「怖い伝染病」という誤った認識が社会の隅々まで植え付けられ,法律により強制隔離される病として恐怖と差別の対象となった。こうして,国民の間にハンセン病に対する偏見差別や忌避感が定着し,患者本人のみならず,その家族も地域社会から差別,排除された。

    このような「絶対隔離・患者絶滅政策」の下,少なからぬ国民が,無自覚のまま患者やその家族に対する加害者の役割を担ってきた。1996(平成8)年に至り,長年にわたる差別・偏見の温床であった「らい予防法」がようやく廃止されたが,現在もなお,長期間続いてきたハンセン病に対する差別と偏見は払しょくされていない状況である。
  2. 熊本判決とそれ以後の経過
    (1) 2001(平成13)年5月11日,「らい」予防法違憲国家賠償請求訴訟(通称「ハンセン病国賠訴訟」)において,熊本地方裁判所は,国の隔離政策によりハンセン病の元患者らがこうむった被害とは,療養所に隔離された被害とともに,元患者らが偏見差別を受ける地位に置かれ続けた被害であるとして,国の責任を認める判決を出し,これが確定した。 (2) 国は,同判決を受け入れて,翌年には「ハンセン病問題に関する検証会議」を立ち上げ,2005(平成17)年3月,同会議は,厚生労働大臣に対して最終報告書を提出した。

    国は,元患者らに対し,賠償(補償)一時金の支払,在園保障・社会復帰支援等の福祉増進策,真相究明事業等の施策の実現とともに,元患者らの名誉回復及び偏見差別解消に向けた謝罪広告をはじめとする啓発事業を行うことを約束した。

    2008(平成20)年に制定された「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(通称「ハンセン病問題基本法」)では,元患者らの被害回復を旨として,国には元患者らが地域社会から孤立することなく安心して豊かな生活を送ることができる施策を講じるべき責務があるとし,また何人もハンセン病を理由とした差別をしてはならないとの基本理念を定めて,元患者らの福祉の増進,名誉の回復等の促進を図ろうとしている。
  3. 北海道における取組みと残された課題
    (1) 北海道においても,国の絶対的隔離政策のもとで,国の施策に即した対応を無批判的に行ってきたという歴史的な経過がある。 (2) いわゆる熊本判決後,国の取組みが進められるのと並行して,北海道においても,ハンセン病療養所の入所者の方への対応を進めて来た。

    2006(平成18)年11月,高橋はるみ知事は,道内出身者が多く入所している国立療養所松丘保養園(青森県)を訪問して正式に謝罪した。また,いわゆる「里帰り事業」等や,ハンセン病問題を正しく知るための講演会,パネル展等を実施してきた。
    (3) 北海道は,北海道出身の元患者の方々の要請を受け,2010(平成21)年度に「北海道ハンセン病問題を検証する会議」を立ち上げた。同会議は,約1年間にわたる調査や道内出身の元患者の方々からの聴き取り等を踏まえ,本年6月,誤った強制隔離政策について「道も責任を免れない」と指摘した「北海道ハンセン病問題検証報告書」を知事に提出した。

    同報告書は,90年間にわたって隔離政策を続けてきた国はもとより,国の政策を無批判に受け入れ,自ら隔離施策を続けてきた北海道の責任を明確に指摘している。同報告書によって,北海道のハンセン病問題に関する特徴は一定程度とらえられたものの,残された課題も浮き彫りとなった。また,隔離政策への加担について知事による謝罪は行われたものの,これだけで北海道の責任が果たされたわけではない。
    (4) 同報告書の提出を受けた知事は,北海道道議会でも「患者や家族の人権を侵害し大きな苦痛を与えた」ことを認め,「報告書を最大限活用し,こうした人権侵害が二度と起きることの無い社会の構築に向けて積極的に取り組んでいきたい」と表明した。さらに,ハンセン病の正しい理解に向け,道民向けのシンポジウムを開催することや青少年対象の小冊子を製作することを明らかにした。 (5) しかしながら,国や北海道の取組みは,そのスタートが遅かったこともあり,長期間にわたる強制隔離政策の人権侵害性が,国民・道民全体で共有できたとはおよそ言い難い。

    例えば,2003(平成15)年11月には,熊本県内のホテルが療養所入所者の宿泊を拒否した上,ホテル側の不誠実な謝罪に反発した入所者に対し,一般市民から誹謗,中傷の電話や手紙が殺到するなど,元患者らに対する根強い偏見・差別が残っており,真の被害回復に向けた道のりは未だ遠いと言わざるを得ない。
  4. 当連合会の取組みと国・北海道への要望
    (1) 北海道ハンセン病問題検証報告書においては,行政の責任とともに,法律家も,「らい予防法」の廃止以前からハンセン病が早期治療により治癒する病気であること,隔離収容が人権侵害であることなどの認識を持つことが可能であったにも拘わらず,「らい予防法」の合憲性に疑いを持たず,同法の早期改廃に向けた対応をとることなく「法」による人権侵害を許容してきたという重大な責任があることが明確に指摘されている。 (2) 当連合会は,この間,松丘保養園での道内出身者の元患者の方々との交流と,次代を担う若者達に対し誤った差別と偏見の歴史を伝えることを,毎年続けてきた。2005(平成17)年3月には「考えようハンセン病問題 道内出身者が語る『奪われた人間の尊厳』」(道弁連人権ブックレットNO.1)を出版し,道内の中・高校生へ配布することや,旭川,札幌で市民集会を開催するなど,ハンセン病をめぐる問題を多くの道民に知らせる取り組みを進めてきた。

    しかしながら,法律家としての重大な責任に鑑みれば,改めて過去の過ちと現在の問題状況を深く認識し,問題の全面解決に向けて力を尽くすべき責務を負う。
    (3) 1955(昭和30)年当時には1万人を超えていた全国各地の療養所の入所者は,現在2318名(本年2月)で,平均年齢は81.5歳に達している。北海道出身の元患者らの入所者数は35名(うち松丘保養園は19名,いずれも昨年12月時点)まで減っている。入所者らは,全国の療養所の統廃合と医療体制の削減への不安を訴えており,また,生きている間に真の被害回復が図られることを強く願っている。 (4) 当連合会は,ハンセン病患者らに対する誤った隔離政策が長年にわたって続けられてきたという歴史的事実を踏まえ,国と北海道に対し,道内出身者が多く入所している松丘保養園をはじめとする全国各地の療養所の存続,今後の医療体制の充実・維持に向けて積極的かつ継続的に取り組むことを求めるとともに,北海道に対しては,検証報告書の内容をできるだけ多くの道民に知ってもらう方策を進めること,入所者やその家族の意向を継続的に聴き取り,必要適切な対応を行うこととそのための適正な予算措置を講じること,そして,今後の再発防止を含めた人権教育を拡充すること,そのために必要に応じて当連合会等との連携を図ることを要請する。 (5) 私たち北海道の弁護士は,北海道が検証報告書を出したこの時期に改めて,ハンセン病に対する誤った差別と偏見の下,強制隔離政策によって重大な人権侵害が長年にわたって続けられてきたという事実を正確に知り,深く認識するとともに,今後とも,ハンセン病問題の真の解決に向けて,北海道とも共同しつつ継続的に取り組むことを宣言する。

    よって,表記の宣言案を提案する。

以 上

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