| 7月30日 |
16:20 |
ユジノサハリンスク空港到着 |
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17:00〜18:00 |
ホテル入館 |
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19:00 |
夕食(サハリンの弁護士が中心となって大歓迎夕食会) |
| 7月31日 |
8:00〜 9:00 |
ホテルで朝食 |
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10:00 |
ユジノサハリンスク市長、シドレンコ・ヒョウドル・イリイチ氏と面会(しきりに日本の経済援助と交流の強化を主張していた) |
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11:00 |
法務省サハリン州法務局長コントィレフ・ミハイル・ヴェニアミノヴィチ氏と面会 |
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12:00 |
サハリン州調停裁判所所長ヴェレシャク・ヴィクトル・イヴァノヴィチ氏と面会 |
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13:00〜14:00 |
昼食 |
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14:30 |
内務省サハリン州内務局矯正事業・社会復権部長コピートフ・アナトーリ・ヴラヂミロヴィチ氏と面会・懲治機関訪問。(コピートフさんは、昨年釧路の道弁連大会に参加いただき、再会した。) |
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18:30 |
夕食 |
| 8月1日 |
8:00〜 9:30 |
ホテルで朝食 |
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10:00 |
サハリン州検察局訪問、州検事デニーソフ氏と面会 |
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11:00 |
ユジノサハリンスク市裁判所訪問、裁判官や弁護士と会談(大変有意義であった。) |
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13:00〜14:30 |
昼食 |
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15:00〜17:00 |
法律事務所訪問(なかなかやり手の弁護士が日ロの交流について語る。) |
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17:00〜18:00 |
市内見物(レーニン広場、ネフチェゴルスク被災者記念碑、州博物館、お土産品店) |
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19:00 |
夕食 |
| 8月2日 |
8:00〜 9:00 |
ホテルで朝食 |
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9:00〜18:00 |
サハリンの南東約50km、オホーツク海の水産加工場を訪問。(野外パーティーが楽しかった。) |
| 8月3日 |
8:00〜 9:00 |
ホテルで朝食 |
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9:30 |
ユジノサハリンスク空港へ出発(→帰国) |
今回は、新千歳空港の発着となり、便利なアクセスとなった。(従来は函館空港からのみ。)
2005年の予定される訪問では、より多くの人がサハリンの旅に参加してほしいものである。

ところで、
日本の歴史に絶えず影響を与えてきた、そうして今後も与えるであろう隣の白熊(大国ロシア)の良さをもっとよく知りたいものだ。NHKの元モスクワ特派員小林和男は『1プードの塩――ロシアで出会った人々――』という本を書いているが、プードとは今は使わない古いロシアの重量単位で、およそ16キログラム。
諺としてのみ生きている言葉だという。人を本当に理解するには、16キログラムの塩を一緒に食べるぐらいの長い付き合いが必要だという意味でロシアで使われている。私は、まだロシアの塩を2グラム程度なめたに過ぎない。ロシアについてのあれこれは総てこれからだ。
サハリンヘ行って参りました。なぜサハリンかとお思いでしょうが、実は北海道弁護士会連合会とサハリンの法律家とは定期的に交流を持っておりまして、一年おきにお互いを訪問するという慣行になっておりまして、今年は日本側からサハリンを訪問する年に当たっており、道弁連理事でありますクマちんもその一員として参加して参ったのでございます。まあ、滅多にいけないところヘいくというのはまた楽しいもので、結果オーライ。楽しい夏休みになりましたし、何よりラジオのネタが一杯。
というわけでその山盛りのネタの中からお送りするわけでございます。
総勢8人の一行が新千歳空港で集合いたしまして、ユジノサハリンスク行きの直通便に乗るわけでございますが、約一時間半のフライト。殆ど東京にいくような感覚でございます。もちろん東京より近いわけで、ジェット機じゃないから時間が掛かるわけですが。それで新千歳空港でバスに乗せられまして飛行機まで運ばれる。ここまでなら羽田でもよく経験している当たり前のことなんですが、このバスがどこまでも走るのよ。おいおい大概空港出はずれるよ、大丈夫?というあたりに向こうの方にちっちゃい飛行機らしきものが見えてきました。まあこれが汚い汚い。よう今時こんな汚い飛行機飛んどるな。というやつです。これにタラップと言うよりはしごのようなもので昇るわけでございます。中に入ると雰囲気はもう田舎のバス。今時相当田舎いかないと走っていないよと言うバスの気配。一応座席指定なので座席番号を確認しようと思ったら見あたらないんですね。おかしいなあと思ったら、荷物棚の所にちっちゃい札が打ち付けてある。老眼の人は絶対見えないよ。よく見ると操縦席へ続くドアは、安っぽい水色のペンキが塗ってあり木のドアなのよ。これが立て付けが悪いのか、バネが馬鹿になっているのか、着陸した途端パタンとあくのよ。ハイジャックさんいらっしゃい状態。イスがまた飛行機のイスとは思えんちゃっちいイス。後ろにも幾分かは倒れるんだけれど、上からヘタに体重かけると前にペたっと折り畳まれちゃうのよ。そんなんありか。お昼ご飯が出るんだけれど、その時になんか変だな、やりにくいなと思ったら、テーブルは確かに前の背もたれについているんだけど、コップをおく穴が開いていないのよ。だから揺れるもんだから常にコップ持ってないといけないのよ。堪忍して欲しい。
久しぶりに飛行機に乗ってスリル満点。月に二回は飛行機乗ってる私も無事着陸するまで久しぶりの緊張感を味わったね。飛行機乗りの原点を見つめ直した思いだね。気分はもうライト兄弟かリリエンタールだね。誰やリリエンタールって。
サハリンが近付いて下を見ますと日本と何が違うかと言いますと、川がうねうねと流れている、日本だったらとっくにまっすぐになって護岸工事されているであろう川が空港のごく近くを自然に流れているんですね。湿原のような平野がその周囲に延々と続いている。これも日本なら確実に全部ゴルフ場になってますわね。現にサハリン側もゴルフ場くらいは作りたいようなんですね。市長を訪問したときも日本の資本を誘致してゴルフ場を作りたい、今天然瓦斯開発で欧米の技術者が来ているんだけれどもその人たちが休日に遊ぶ場所がないということをおっしゃっていましたけれどね。
さて、心配な入管や税関の手続も無事に終わりまして、我々は一路ホテルに向かったわけですが、案外に車が多いのにビックリしました。二年前に行った人に聞いても二年前に比べても格段に車が増えていると言うことで、町中は夕方になるとラッシュっぽい感じになっていましたね。渋滞まではしませんけれども。向こうは右側通行ですから、左折しようと思ったら信号1つ待たないといけないような状態になってましたね。走っている車も9割方が日本車だそうですよ。時々どっかで見たような会社の名前を書いた車が走っていたりするんですね。あれこんな会社サハリンに進出しているのかしらと思ったらおそらくは廃車になったのが流れてきたんでしょうね。盗難車かもしれませんけれど。ふと見ると札幌ナンバーの車が走っているんで、あれっと思ってよく見たら、日本のナンバープレート外さないでそのままロシアのナンバープレートつけて走っているんですね。それから道の途中で中古車を並べて、これも日本から持ってきたとおぼしき幟を、「車大売り出し」という日本語の幟を立てて売っているところがありましたけれども、どう考えても日本人の客はまずいないと思うんですが。それで殆ど日本車ということは当然右ハンドルです。左側通行に合わせて。しかしロシアは右側通行です。運転しにくいはずです。夜なんかすれ違う車のライトがこっちの方を向いているわけです。しかもロシアの人の運転は北海道も人のこと言えませんけれどもお上品とは言い難い。歩行者も相当なものです。四車線の所を三車線まで渡って分離帯も何にもない道の真ん中に突っ立ってもう残り一車線の開くのを待っているなんて風景がざらにありました。当然事故が多い。当て逃げひき逃げも多い。日本だと警察が車両の特定のために現場に落ちていた塗料の分析とかで割り出すでしょう。サハリンの警察の人がその資料や技術を日本から譲ってもらいたいと言っておられてなるほどと思いましたね。
道路の作り方自体も考えた方がいいよと言うところがあって、四車線で片側二車線ならいいのですけれども、空港から市内に入る道路は三車線なんですよ。片側三車線じゃなくて全部で三車線。普通そういう場合は例えば左二本が空港行き、右一本だけが市内行きとか、あるいは朝と夕方で真ん中の車線を使い分けるとかするんですが、サハリンは違うね。真ん中は追い越し車線、しかも左右両方向共通、つまり、追い越しのためにどっち側の車線が使うかは早い者勝ち。そして交差点の手前になると突然そのまま左折レーン、日本的には右折レーンに変身。こりゃ便利って、そんなもの危ないだろう。同時に双方が追い越し始めたらどうするんだよ。北海道の郊外みたいに滅多に車通らないならいいけれども結構交通量あるんだから。本当にアバウト。
町並みも見ていると興味深いですね。街の中心にあるのは殆どが旧ソ連時代に建てられたと思われるアパート風の建物ですね。これがもうかなり年季が入っております。時々出窓みたいにサンルーム風のを突き出しているんだけれども、これがどう見ても違法建築で、今にも落ちそうな庇の上に作ってみましたという代物で、下を歩くとちょっとした肝試しになったりしましてね。色々見て判ったんだけれども、単にお金がないというだけではなくて、そもそも建物を一から壊して作り直すという発想が基本的にないようですね。相当古い建物でも、本体の部分はいじらないでリフォームで新しい建物のようにしてしまう。基本的にそういうやり方なんですね。市役所なんかももうぼろぼろの建物なんですが、正面玄関周辺だけまるで芝居の書き割りのようにサイディングして立派に見せているんですね。何でもかんでもぶっつぶして新築する日本の建築文化というものを反省させられもします。
そうした異文化に触れることで自分たちの生活や文化を見直すというのも旅の醍醐味の1つでしょうね。
1曲目 ジェリー藤尾 遠くへ行きたい
さて、サハリンに到着した初日の夜から、向こうの裁判官や弁護士が歓迎の一席を設けるというので、恐縮しながら出かけたわけですが、町中のサイゴンというレストラン、何でサハリンでサイゴンなのか判りませんが、料理も別に生春巻きが出るわけでもアオザイを来た人がいるわけでもありませんで普通のロシアの食べ物でしたけれども。
それで向こうの弁護士さんや裁判官が三々五々と20人くらい集まってこられたのですが、2人くらいが男性で後は全員女性。どうもこちらが紋別の亀井さん以外はみんな男性なので気を遣ったのかもしれませんが、大変華やかな宴席でございます。元々ロシアでは弁護士や医者といった頭脳労働系の仕事は女性の仕事という意識が強いのかもしれませんで、少なくとも弁護士・裁判官の半数は女性ということでしたが、私たちがお目に掛かった範囲では女性の方が目立っている感じがしましたね。
それでいよいよ宴会が始まるのですが、ここで恐れていたことが起こったんですね。私基本的にそんなに酒が飲めないのであります。まあビールをちびちびとおつきあいする程度なんですが、ロシアは何と言ってもウオッカでございます。しかもこれをストレートでぐいぐいあおる。客にも勧める。なかなか帰れない。そう聞いていたものだから、こちらも覚悟の上で胃薬などを持参して装備して行ったんだけれど、いきなりの乾杯からまずウオッカ。ワインとかも置いてあるのよ。でも客人はまずウオッカを飲まなければ、と言いながら自分たちは結構ワイン飲んでたりするんですが、いきなりウオッカ攻勢。それもよく聞くとウオッカ飲むときには胃袋を保護するために脂身の固まりみたいな物をまず食べてから飲むらしいんだけれど、チーズ類は出ていたけれど、それらしい物はなくてとにかく勧められ、つがれる。それでウオッカ自体も白樺の木を模したなかなかおしゃれな感じのビンに入っていて、開けると注ぎ口がポッカレモンみたいにあまり一気に出ないようになっているんですな。それでお猪口のちょっと大きいような物につがれて一気飲みですわ。また、ウオッカがもっとアルコール臭い物かと思ったら結構口当たりがいいんですわ。度数も35度くらいだったかな。それほどきつくない。だもんだから油断しているとクイクイいっちゃうんですな。後で後悔した弁護士が約一名いましたが、朝起きたらホテルの部屋の真ん中にミネラルウオーターの大きな空き瓶が転がっていたんだそうですが、全然記憶にないというんですが、シングルルームであんた以外に誰が飲むかいな。金も取らんと水だけ飲み逃げする泥棒がおるかいな。
宴もたけなわになりますと、サハリンではそういう店が多いんですが、生バンドが演奏するんですね。普通のレストランに生バンドが入って演奏して、スペースに余裕のある店ではお客が踊れるスペースが作られているんですね。リズミカルな曲がかかるとそこにお客が集まって踊り狂うわけであります。サンロク街にもどことはいいませんが、おばちゃんたちが集まって踊り狂う店がありましたが、ロシアの女性弁護士・裁判官もパワフルに踊りまくるわけでございます。私も踊りの輸の中におずおずと参加したんだけれども、いっときますけれど決してこっちから強要した訳でもセクハラでもないですからね。言うだけ怪しいって。それを、よしゃいいのにビデオカメラを回している奴がおる。戻ってからそのビデオを弁護士会の事務局の女性が借りて自宅で見ていたら、子供さんがそれを見て「ママ、これって浮気って言うんでしょ」。教育上重大な問題が発生しとるやないか。違います。浮気はビデオにわざわざ撮りません。
夜の6時から始まった宴会が夜の10時を過ぎても終わる気配がない。日本のように二次会三次会で自然にフェイドアウトという手が使えないんでありますね。さすがに10時過ぎてそろそろ帰りたいというと、12時までは付き合うのが客の義務だといわれまして、そういわれるとこっちもタダ酒飲んでる弱みがありますので、11時くらいで妥協したんですが、向こうは随分不満そうな顔をしていましたな。せっかくこんなに盛り上がっていたのに、自分たちの接待の仕方に何か不備があったからへそを曲げて帰ったのだろうかとかなり真面目に心配するようなんでありますね。
さて、このサイゴンのミニディスコではあまり聞き覚えのない曲が、色々かかりまして、ロシアにおける流行歌の類なのでしょうかね、日本のニューミュージックのメロディラインに近い曲が多いような気がしましたがね。二年前には今札幌市長になられた上田弁護士がロシア民謡を朗々と歌われて拍手喝采を受けたそうですが、亀井さんくらいの年代になると、日本のある年代以上がロシア民謡に詳しいということが理解できないようですね。うたごえ喫茶なんて言ったって何それという感じのようです。亀井さんがバンドの人にタトゥーをやってくれと言ったら、できないと断られてましたけれども、サハリンにおいても中年以上の世代でも名前は知っていても、うーんと眉をひそめるという存在のようであります。それでは日本では中年以上はよく知っているロシア民謡の大御所を。
2・3曲目 ダークダックス すずらん/カチューシャ
コマーシャル
何も我々は、サハリンに遊びに行ったわけではなくて、サハリンの法律家事情を視察に行ったわけでありまして、二日目からは裁判所・検察庁・刑務所などを視察したわけであります。どこかの市会議員みたいに観光地ばっかり視察していません。そもそも自腹切って行ってます。もっとも観光しようにも大して観光するような所もないんですけれどもね。
裁判所の法廷にも行って見学してきましたが、ロシアの法廷というのは、被告人の座るところが檻になっているんですね。実際にどの程度使っているのかは判らなかったんですが、我々からするとちょっと違和感がございます。まあマフィア関係の事件とか色々あるんでしょうけれどね。後面白かったのは、普通の事件でもテレビカメラが常に入って回していることなんですね。それもかなり自由自在に動いて審理中もカメラ回しているんですね。実際にどの程度放送で使うかは判りませんけれども、検察事務官が書面を朗読しているときにその背後から書面をのぞき込むようにとっていたり、また傍聴席側を前からなめるようにカメラ回してたりするんですね。日本だと必ず傍聴席の後ろから傍聴人の顔が写らないように撮りますよね。もう法廷に来るときには写されることは覚悟してこいという感じなんでしょうね。
法廷ものどかなもんで、審理の真っ最中に携帯の着メロが鳴っとるんですよ。私はてっきり日本の弁護士の誰かがうれしがって国際通話できる携帯持ってきてオフにしてなかったんやなと思っていたんですが、しばらくして着メロが鳴りやんだころに、検察事務官がおもむろにバッグを開けて携帯を確認しているんですね。何やお前かい。そもそも法廷で携帯はオフにしとかんかい。日本の感覚なら鳴った途端に大慌てで平謝りのはずですが、この女性検察事務官、いっこうに悪びれる様子もなく平然としておりますので、こちらがかえってビックリしてしまいます。
さて、昼飯の時にサハリンの弁護士会会長という方にお会いしましたが、この方は伝説の人物だそうでして、旧ソ連時代に逸話を残しておられるんですね。この方は弁護士になる前に警察官をしておられたんですが、ソ連時代は党幹部の車というのはいくらスピード違反しようが赤信号無視しようがフリーパスだったそうです。もちろんそこまでの特権が法律上あったわけではないんですが、みんな黙認していたわけです。ところがこの物わかりの良くない会長さんは、党の幹部の車、それもナンバー001だから誰でも知っている第一書記の車に対してスピード違反の切符を切っちゃったんですね。上司から首が怖くないのかと言われたそうですが、私は私の職務を尽くしているだけだと一歩も引かなかったそうです。そしてそんなことなら辞めてやると自分から辞表を叩きつけたんですね。その後予審判事という仕事をなさったときも、殺人事件でこれは正当防衛だから無罪だと主張して、上司から考え直すように言われてもガンとして貫いて、最後にはモスクワの方の検察庁で自分の見解が正しいと認めてくれたということがあったそうであります。
この方になぜ弁護士になったのかとお聞きしたところ、自由だから、人の言うことを聞かなくていいから、最後には自分しか責任を負わないからと言っておられました。では、北国を旅する男の歌を。
4曲目 小林旭 熱き心に
さて、珍しいところでは刑務所も見学したのでありますが、今までは裁判所でもどこでもビックリするくらい全く自由に撮影させてくれたんですが、さすがに刑務所は収容者の人権を理由に写真はダメということでしたが、唯一撮影を許されたのは収容者が建てたというロシア正教の教会でして、これがなかなか良くできた建物でして、これだけは撮っていいということでした。でもその建物を管理している担当の収容者がいるんだけれども、それも写ってしまうけれどもそれはいいのかと言ったらそれはいいと言うんですね。この辺が極めていい加減で、実は他の建物のひどい状態を写されたくないだけじゃないのか、自慢の建物だけ写させたいのじゃないかと勘ぐってしまいます。日本でも過剰拘禁、人が定員以上になっているということが問題になっております。サハリンの刑務所もかなりひどい状態です。私が見た部屋は一部屋に22人、二段ベッドが7本並んでそれで14人、それでも足りないので窓際に更に4本並べて8人、合計22人。二段ベッドといっても我々の考えるような物とは違って寝返りうったらすぐにはみ出すようなちっちゃいベッドなんですよ。これは2、3日ならまだ辛抱できるけれど、これで何年も暮らした日にはノイローゼになるよ。
刑務所の所長さんに聞くと一番つらいのは、収容者たちに与える仕事がないということなんですね。現に確かに昼間から所在なげにぶらぶらしている人が目に付くのです。昔はサハリンの刑務所は家具の製作で有名で独占企業のような状態だったそうです。しかし、今は大陸の工場に負けてしまって、若い収容者にやらせる仕事がない。それがつらいと言っておられました。今の主な仕事は道路舗装用のタイル、日本でも歩道に最近よく敷かれている水を通しやすいタイル、あれですね。あれを製作しているそうです。
もちろん今でも木製品の類は色々作っているようでして、刑務所を管理するセクションの方にお会いしたときには「おみやげ」として収容者の方の作ったチェス台、駒もついた奴、この駒がなかなかおしゃれな彫り物のされた立派な物なんですが、これを頂きまして恐縮いたしました。それはありがたかったんですが、困ったのが帰りの時。日本へ帰るとき。普通箱か袋かくれるだろう。何にもなし。むき身。ひもも掛
けてない。しょうがないから、チェス台は天板と下の台に分けて、駒は駒で分けて、三人がかりで怪訝な顔をされながら税関を通過したのでありますね。今は札幌弁護士会館に安置されていると思いますがね。
さて、三日目に視察が終わってから小一時間ほど市内観光をしたんですが、街の北のはずれに勝利の広場というところがあります。第二次世界大戦の戦勝を祝って、サハリンを日本軍から解放したということを記念する広場なんですけれどもね。高台に戦車が飾ってあって、これが街の方に砲身を向けているんです。函館の嶋田さんという弁護士さん、もう84歳の方なんですが、この方ロシア語がある程度しゃべれるんです。なぜかというとこの方シベリアに抑留されていたんですね。この方がその戦車を見ながら、私は満州にいたんだけれども、二ついた部隊のうち嶋田先生の所属していた方ではない方の部隊は、この戦車部隊と闘って半分以上が亡くなってしまわれたんだそうです。実際に戦争を体験した方にそうした話を聞くと非常な重みを感じますね。我々ともすればそうした話は避けようとしがちなのでしょうが、体験者の方はやはり語り伝えたいというお気持ちがおありでしょうからね、そうした気持ちに報いる意味で我々も話を聞いて更に下の世代に語りかける気持ちを持ち続けなければと思います。
5曲目 新井英一 ともしび
さて、サハリンでもある弁護士の事務所を訪問したんですが、アレキサンダーとかいうおっさんですが、これがテンション高い。約束の時間に事務所に行ったらまだ戻っていないと言うことで待っていたら、そうこうするうちにバタバタと戻ってきた弁護士が法廷でのテンションそのままにわれわれと握手しまくって、昼間からいきなりウオッカ出してつぎまくって、乾杯して自分もぐいぐい飲んで身振り手振りで大演説。その上、私の妻は水産会社を経営しているから、明日はそこへ行って一緒にバーベキューパーティーをやらないかと明日のセッティングまでご丁寧にしてくれまして、翌日天気は良くなかったんですが、そ
の水産会社へ行ったんですね。ユジノサハリンスクから50キロくらい離れた場所だということだったんですが、1時間半掛かるというのです。おかしいなあ、いくら何でも平均時速30キロなんてはずはないのにと思って向かったら理由が判りました。
ハイウェイをしばらく走って海に突き当たると、そこからは道路ではなくもろに海岸を走るんです。まっすぐな海岸を走るから快適だと思うでしょう。しかしそれは能登半島の渚ドライブウェイとかを走った間違った認職です。自然の海岸はあんなに平たくありません。でっこぼこ。がったんがったん。まっすぐ前に進む距離よりその間に上下に揺れる幅の方が長いんじゃないかというやつで、そりゃ時速5キロ10キロだぜ。このままゆられ続けたらミンチになるんじゃないかというくらい揺られてやっと目的地までたどり着きました。
そしたら例のテンションの高い弁護士が出迎えて、今この船でますを捕ってるんだといって、船と加工場を見せるんですね。あげくにはこの船で沖まで行ってそこで酒盛りをしようなどと言い始める。なんかわからんうちに、とうとう漁船に乗り移る羽目になりまして、これがまた揺れる揺れる。それで沖の定置網から魚捕っている船まで行ってこれに飛び移るんですな。これまた大変。やっとの思いで乗り移ったら、折悪しく雨が降り始めまして、しかもこれが相当の大雨。元々あまり人が乗ることを予定していない漁船なものだから、そうなったらなかなか雨宿りする場所もない状態になりまして、全員濡れ鼠。私、よく雨を通さないパーカーを着ていったもんだと思って、一安心していたんですが、そんな中でも例のテンションの高い弁護士は釣りを始めるのです。日本の弁護士にも釣り竿を渡してちょっとした日露釣り対決ですわ。最初のうちはホッケとかアブラコとか快調に掛かっていたんですが、そのうち不器用なのか糸を絡め
てしまって大騒動。普通ならギブアップして別の糸を出すんですが、どういう訳か一生懸命ほどこうとしているんですな。どうもスペアを持っていないらしいんですわ。偉いけちくさい釣りやなと思って見ていたんですが。
そうこうするうちに船も港に戻りまして、簡単な梯子段のような所をロープを伝わって岸壁まで昇るんですが、船の上でいい加減ウオッカ飲まされていますから、足許の危ない人が約一名いまして、まず最初に私が上がって次の人だったんですが、私、絶対落ちたと思いましたね。多分本人もそう思ったと思いますけれど、足の下は海でしたわ。そこから腕の力で奇跡的に体勢を立て直して岸壁に上がりましたけれどね。私は確実に次を考えてましたね。どうやって助けようか、とね。
そんなこんなのうちに全員無事に生還しまして、小高い丘の上でバーベキューパーティーになったんですが、これがまたウオッカ攻勢ですわ。この前のお猪口と違って紙コップだから、その上それでもストレートだから、もう大変。食い物も肉の焼いたのが出てくるわ。ますの子があるわ。魚のスープは出るわ。パンはあるわ。足許に子犬がからみついてきたのでパンをあげたら、見向きもしない。肉をあげたらペロッと食いやがる。ロシアの犬は肉食の名残を色濃くとどめているね。それで我々もいい加減腹が一杯になったところで、テンションの高い弁護士がカニを持ってきまして、これがタラバなんだけれど釧路の弁護士に言わせればこれはタラバとは呼べない、俺に言わせればズワイだというくらいやせたちっちゃいタラバでして、水産資源の枯渇も深刻だなと思わせられた状況ですが、テンションの高い弁護士がここでカニの甲羅を外して甲羅酒ですわ。それもウオッカ。回し飲み。それだけではなくて、今度はますの唐揚げをこれでもかと持ってくる、もったいないけどもう食えん。
まあ、漁船に乗るなんてことはまず経験もないことでして、海の男は大変だわと改めて感銘した次第でございます。というわけで、懐かしいこの歌を聴いてみたくなりました。
6曲目 村木賢吉 おやじの海
コマーシャル/エンディング

7月30日、40人乗りのプロペラ機は、約30分遅れで千歳空港を離陸した。ほぼ満席で、日本人は我々8名の他十数名。頭上の荷物台(オープン)あたりから白い煙(?)のようなものが出ているが、客室乗務員(ロシア人女性2名)にあわてた様子がないので問題はないのだろなどと思っているうちに王子ホテル製の機内食のサービスがあり、1時間半の飛行時間でユジノサハリンスク空港に無事着陸。稚内―コルサコフ間は船で5時間半、稚内―千歳間は列車で約6時間であることから稚内の位置づけを再確認した次第である。
今回の旅は4泊5日の短期間ではあったが、内容豊富なスケジュールとロシア側の積極的な協力姿勢のお陰で極めて充実した旅であった。
ロシアは経済的にはまだまだであることは否めないが、率直に言って、道内の多くの都市に比べると活気が感じられた。サハリンの地下資源(石油、天然ガス等)の開発が進んでおり、このことは稚内港の輸出入額が重機類を中心にこの半年で前年同期比の2倍近い数字となって現れているところで、今後北海道にとってサハリンが重要な位置を示すものと予想されるところである。帰国後、早速ロシアとの取引がらみの相談があり、サハリン法曹との交流をさらに発展させていくことの必要性を強く感じている。