房川 樹芳 ロシア・サハリンの旅
稲澤 優
亀井 真紀 2003年サハリン親善訪問旅行記
嶋田 敬
中村 元弥 サハリン訪問雑感
八重樫 和裕
吉岡 征雄 2003年サハリン視察旅行を終えて
本間 裕邦
平成20年度道弁連大会決議
平成19年度道弁連大会決議
平成19年度道弁連大会報告
司法修習生、就職・開業説明会実施報告
平成18年度道弁連大会記念シンポジウム
平成18年度定期大会決議
ホーム
サハリン訪問旅行 

2003年サハリン州調査旅行団 団長  房 川 樹 芳

  1.  サハリンの空港に降り立って、ホテルまでのバスからみた景色は、やや荒涼とはしているものの、小さな時にみた故郷の景色のような感じがし、外国に来た感じが全くなかった。迎えに来てくれた方々も、昨年、道弁連に来てくれたオリガさんレスコヴァさんなど懐かしい顔ぶれであった。
     道弁連としてサハリンの法曹を初めて訪問したのが1993年8月7日のことであったので、今年は丁度10年経ったことになる。今回は、道弁連側から、7月30日から8月3日まで、サハリンを訪問したのである。道弁連の北方圏交流委員会の三津橋委員長や常連の江本先生が参加されなかったのは残念であった。しかし、訪問団は、函館の嶋田敬先生、釧路の稲澤先生、稚内の吉岡先生、旭川の八重樫先生、中村元弥先生、紋別の亀井先生、札幌の本間先生と私の総勢8名。奇しくも道内一円から集まったのである。
  2.  7月30日当夜はサハリンの法曹十数名で歓迎会をしてくれた。近くのレストランに行ったところ、男性は2人だけで、あとはすべて女性。もともとサハリンの法曹の男女比は半々とのことである。最初は挨拶をしたり型通りにすすんだ。互いに言葉がわからないため、知っている単語をつかい、あるいは名前をロシア語で書いてもらったりということで時間を過ごしていた。ところが、生バンドが演奏され始めた途端、ロシア人は皆、踊りだし、尻込みしている我々をフロアに連れ出し、一緒に踊り始めてからは、無礼講となった。稲澤先生や八重樫先生など興にのってきて、ロシア人から大いにもてていた。夜の10時も過ぎたので帰ろうとしたところ、12時までいるのが礼儀であるという。我々は飲んだウオッカが踊ったためか体中に回り、早く眠りたい思いにかられ、ようやく10時半位になって解放してもらえた。我々が帰る際、ロシアの人たちは、どうしてそんなに早く帰るのかと不満なようだった。それにしてもロシア人はタフであった。
  3.  翌7月31日は、ユジノサハリンスク市長を表敬訪問し、法務局・調停裁判所(内実は商事裁判所)・刑務所見学があった。
     刑務所見学の際は、カメラ等の撮影は禁止という。日本でもそうなので当然と思ったが、刑務所の中に収容者が建設した教会があり、その撮影はよいとのこと。教会の番をしているのは若い収容者であった。彼も写真に写ってしまったが、プライバシーは大丈夫なのかと、やや心配した。刑務所の敷地内にさらに相当数の建物があり、それらが鉄柵に囲まれている。集団雑居房であった。しかし、鉄柵内間では建物や庭に出るのも自由であった。我々は、その建物の中にも入れてもらったが、中は部屋毎に2段ベットがいわゆる軍隊でよく見かけるように並んでいた。収容者がいる中を、我々が入った。皆仕事をしておらず、逆に我々を好奇の目でみていた。刑務官の人も、収容者に仕事を与えることができないのが悩みであるという。帰りがけにみた刑務所の外側の塀の上の監視塔が、今にも崩れ落ちそうに傾いていた。人が入っていたので地震でもあったら大丈夫なのかと妙に心配になった。
  4.  8月1日は、裁判所では刑事事件を傍聴した。3人組の若者が2人の被害者を襲って銃で脅して金銭を奪ったという事件であった。被告人のうち1人の事件で、心神喪失か否かを争っているとのこと。裁判所の許可があれば報道関係者のテレビ放映も自由ということらしく、裁判中、カメラマンが我々はもとより、検察官の後ろに回って検察官の記録まで撮影したり、日本では考えられないほどのオープンさであった。被害者がそれぞれ証人に出て、被告人の母親が被告人のかわりに質問したり、証人同士が質問したりと、随分、日本と勝手が違う。いわゆる職権主義なのか検察官も弁護士も裁判官のあとから若干補足的に尋問しているにすぎなかった。
     裁判終了後は、裁判官や裁判官の補佐をしている若い研修生が30名位来て、我々に質問をし、交流を深めた。中村先生は元裁判官、吉岡先生は元検察官であったと言うと、大変感心されていた。また、亀井先生が気軽に皆と写真を撮る姿は好感をもたれていた。
     当日の午後は、法律事務所を訪問した。所長はアレクサンダー弁護士で、サンクトペテルブルクの法律事務所の支店であるとのこと。主に水産関係の仕事をしていると言い、日本の会社の仕事もしたそうだ。入ってくるなり、皆にウオッカを勧め、自らもウオッカをあおり、実に精力的なビジネスマンタイプであった。
  5.  8月2日は、アレクサンダー弁護士の顧問先の漁業会社の加工場を見学し、漁船に乗せてもらった。嶋田先生も乗船するというので、私も船に弱いと言えず意を決したが、結果は楽しかった。その後、屋外パーティをしてくれ、暖かくもてなしてくれた。ここでは稲澤先生が多くのロシア人と話しながら笑いあったりしていた。人には必ずしも言葉が必要でないことを実感した。最終日の夜は、我々だけで食事に行き大いに語りあった。
  6.  8月3日には帰国したが、ユジノサハリンスク市自体も、以前より綺麗になってきており、物も豊富になってきたという。これから、経済的にも発展しそうである。経済交流が深まれば、弁護士としても仕事上の交流も深まると思われる。ますます道弁連の着実な草の根の交流を続ける必要があると感じた旅行であった。それにしても、本間先生の準備には頭が下がる思いがした。お陰で無事に旅行を終えることができた。

ロシア・サハリンの旅

釧路弁護士会  稲 澤   優

  1.  平成13年夏のサハリン調査旅行に初めて参加して以来、今年7月30日から8月3日までのサハリン司法調査旅行は、私にとって2度目の訪問旅行となった。今回も札幌弁護士会の本間裕邦先生が中心となって、サハリン関係者との充分な事前打ち合わせがなされていたので、何の心配もなく参加者の一員となって、楽しい旅をさせていただいたものだ。
  2.  今回の参加者は前回参加者とメンバーを異にして、函館の嶋田敬先生と釧路の私を除き、他は元気な札幌、旭川から参加した諸先生でした。
     さて、外国におけるこの種の見聞旅行では当然に言葉の壁があり、その理解も限界があるが、それでも参加した先生方は諸々の角度から熱心な質問をなし、これに対する対応には、通訳が困ってしまう程の真剣なやり取りとなる場面もあったのである。特に現実の裁判を傍聴させていただいた後の裁判官や職員との応答は有意義なものとして記憶にある。
  3.  サハリン州における我訪問団のタイムスケジュールは、おおむね下記のとおりであった。
7月30日 16:20 ユジノサハリンスク空港到着
17:00〜18:00 ホテル入館
19:00 夕食(サハリンの弁護士が中心となって大歓迎夕食会)
7月31日 8:00〜 9:00 ホテルで朝食
10:00 ユジノサハリンスク市長、シドレンコ・ヒョウドル・イリイチ氏と面会(しきりに日本の経済援助と交流の強化を主張していた)
11:00 法務省サハリン州法務局長コントィレフ・ミハイル・ヴェニアミノヴィチ氏と面会
12:00 サハリン州調停裁判所所長ヴェレシャク・ヴィクトル・イヴァノヴィチ氏と面会
13:00〜14:00 昼食
14:30 内務省サハリン州内務局矯正事業・社会復権部長コピートフ・アナトーリ・ヴラヂミロヴィチ氏と面会・懲治機関訪問。(コピートフさんは、昨年釧路の道弁連大会に参加いただき、再会した。)
18:30 夕食
8月1日 8:00〜 9:30 ホテルで朝食
10:00 サハリン州検察局訪問、州検事デニーソフ氏と面会
11:00 ユジノサハリンスク市裁判所訪問、裁判官や弁護士と会談(大変有意義であった。)
13:00〜14:30 昼食
15:00〜17:00 法律事務所訪問(なかなかやり手の弁護士が日ロの交流について語る。)
17:00〜18:00 市内見物(レーニン広場、ネフチェゴルスク被災者記念碑、州博物館、お土産品店)
19:00 夕食
8月2日 8:00〜 9:00 ホテルで朝食
9:00〜18:00 サハリンの南東約50km、オホーツク海の水産加工場を訪問。(野外パーティーが楽しかった。)
8月3日 8:00〜 9:00 ホテルで朝食
9:30 ユジノサハリンスク空港へ出発(→帰国)
 今回は、新千歳空港の発着となり、便利なアクセスとなった。(従来は函館空港からのみ。)
 2005年の予定される訪問では、より多くの人がサハリンの旅に参加してほしいものである。
 ところで、日本の歴史に絶えず影響を与えてきた、そうして今後も与えるであろう隣の白熊(大国ロシア)の良さをもっとよく知りたいものだ。NHKの元モスクワ特派員小林和男は『1プードの塩――ロシアで出会った人々――』という本を書いているが、プードとは今は使わない古いロシアの重量単位で、およそ16キログラム。諺としてのみ生きている言葉だという。人を本当に理解するには、16キログラムの塩を一緒に食べるぐらいの長い付き合いが必要だという意味でロシアで使われている。私は、まだロシアの塩を2グラム程度なめたに過ぎない。ロシアについてのあれこれは総てこれからだ。


ウォッカと漁船に酔いしれた5日間

旭川弁護士会  亀 井 真 紀

  1.  サハリン法曹事情
     サハリンに女性の弁護士が多いというのは聞いていた。元々社会主義国だからだと。分かったような、分からないような理由で何となく納得していたが、これほどまで多く、またパワフルだとは思わなかった。いや、日本だって女性は、十分パワフルだと思うが、数として、出生比率そのままに、弁護士、検事、裁判官の半数くらいは女性だと言われれば、さすがに頭が下がってしまう。しかも、日本から弁護士が来ていると聞きつければ、好奇心そのままに集まってくるのも女性のようだ。皆、背が高く、鼻の高い美人達である。そんな彼女達に、どのような事件が一番多いかと尋ねた。民事では労働事件だという。また、刑事では窃盗が増加していると。社会主義経済から自由経済になって、他人と競うこと、自分の権利を主張すること、ひいては他人の物を奪うことまでが一種の社会現象となっているのだろうか。彼女達の月収は大体10万円前後だと。サハリンの中では、かなりの裕福層である。ただ、弁護士になるためには、特に試験があるわけではなく、何年か法律業務に携わればなれるのだという。私有財産制が導入され、貧富の差が拡大したのは明らかのようであるが、そんな社会の中で、弁護士という職業が日本以上に憧れの職業であることは間違いなさそうだ。社会が変わっても人権を擁護するという職であることを強調する彼女らに仕事に対するプライドが垣間見えた。私にとっては未だに強大な国家権力というイメージが強い国なので、何だかほっとする。
  2.  漁船とウオッカ
     そんな彼女たちにサハリンでの5日間、ほぼつきっきりでサハリンを案内してもらった。ほとんどは、検察庁、法務局、裁判所、刑務所などのお固いところだが、最終日だけはレジャー観光だった。で、なぜか行ったのが、ものすごい起伏の激しいダート道路を1時間以上も車で走ってようやく着いた漁港。マスを主として獲っているという。そして、近くの水産加工場を見せてくれた。紋別にも水産加工場は多くあり、また依頼者の最多勤務先でもあるのだが、実際に中を見たのは初めてであった。小学生の社会見学のようだ。特におもしろいことをやっているわけでもなく、皆、淡々と黙々と働いているだけであったが、同じオホーツク海から獲ってきたものを同じようにそれぞれ紋別とサハリンで加工しているのだなと思うと、改めて「近さ」を感じる。
     しかし、レジャー観光は水産加工場だけではなかった。
     サハリンの弁護士達は、次は我々弁護団8名を漁船に乗っけてオホーツク海の沖に連れて行ってしまおうということを画策していた。これを知って、やったー! と喜ぶべきなのか、寒い(日本の冷夏をはるかに下回る気温であった)空の下、海に出るなんて「冗談でしょ」と嘆くべきなのか……。が、サハリンローヤーズは、我々の(少なくとも私の)そんな複雑な思いなどおかまいなしだ。行くと言ったら行くのだ。何たって自分たちが楽しみたいのだから。案の定、漁船の上は震えるほど寒く、また沖に出れば出るほど雨が激しくなってびしょぬれだ。ただ、そうは言っても初めて見る定置網漁はダイナミックで引きつけられる。幸い船酔いもほとんどしない。しかも、1本釣りの方は、30センチ以上くらいの魚(ほっけ?)がバンバン釣れているらしく、はたから見ていてもおもしろい。当初は、船の上で、バーベキューをする予定だった(らしい。大量の生肉を持ち込んでいたから)が、雨が強く中止。じゃあ、空きっ腹をどうするか? 食べるのが無理となったら飲むしかない。もちろんウオッカだ。初日から観光オンリーのこの日まで、昼も夜も場所も関係なく、とにかくウオッカ、ウオッカ、ウオッカなのだ。ロシア人も、そして日本人も半分ヤケになっているのか、寒さをまぎらすためか、ことあるごとに「乾杯!」である。当然、船の上で飲めば勢いよく酔いも回る。もっとも陸地に上がってからも、バーベキューをやりながらさんざん飲んでいたのでいつから酔っていたのかあまり記憶はない。わずか2時間くらいの海の旅であったが、こうやってさてサハリン旅行記の原稿を書こうと思った時、やっぱりこのことを真っ先に思い出してしまうのだから(他に書くことがないという消去法ではない。刑務所見学などもかなり強烈だった)、やっぱり乗ってよかったのだと思う。漁船に乗り込む前に、サハリンの女性弁護士が貸してくれたジャンパー(わざわざ用意してくれていた)が本当に有難く、また暖かく感じた素敵な思い出である。

2003年サハリン親善訪問旅行記

函館弁護士会  嶋 田   敬

第1日

  1.  北海道弁護士会連合会(北方圏交流委員会)主催の第5次サハリン親善訪問旅行団は、同会常務理事房川樹芳先生(札幌)を団長に、紅一点の亀井真紀先生(紋別)とも総勢8名で、平成15年7月30日午後1時過ぎ、サハリン、ユジノサハリンスクに向け新千歳空港を出発した。
     この訪問旅行は、10年前から2年に1回の割合で行われ、今回は5回目になるという。私は、その3回目から引続き参加している。理由は、私がかつてシベリアで4年間の抑留生活を余儀なくされた際の体験の中から、抑留そのものの是非善悪を超えて生じた何とはなしの興味ないし愛着みたいなものに由来すると言えよう。今回の参加について家族から「もう年だし(81歳)、途中で同行の方々に迷惑を掛けることとなっては申し訳ないから、行くのは止めたら――」と再三反対された。が、上記の興味ないし愛着と函館会に他に参加希望者がいなかったこと、それに足腰に多少とも自信があったことが理由で敢えて家族の反対を押し切って私は今回もまた参加することとした。
  2.  私は、指定された新千歳空港の集合時間午前11時30分に間に合うよう、当日の朝7時20分函館駅発特急スーパー北斗1号で独り重い荷物1箇を引き提げて出発した。
     搭乗機は、ロシア、サハリン航空の旧式の双発プロペラ機で、新千歳空港の一番遠いところに駐機していた。この日の空港は相当の雨降りであったから、私たちはバスで搭乗機の許まで送られた。全席略満席のようであった。
     待つ程に、搭乗機は、予定時刻より大分遅れ、物凄い爆音を残して新千歳空港を飛び立った。ずっと雨の中を飛び続け、約1時間半後に、かねて見知ったユジノサハリンスク空港に着陸した。同地も矢張り雨降りであった。日本とサハリンとは時差が2時間であるから、到着したのは現地時間で7月30日午後5時頃であったと思う。空港建物の外観は、旧来見ていたものと同じようであったが、内部はすっかり改装されていた。入国手続も手馴れて、荷物の開披を求められるようなこともなかった。
     入国手続を終えて一同室外に出たところ、既に顔馴染みの女性弁護士イワノバさん、女性裁判官オーリヤさん、通訳の具文鎬さんらが顔を揃えて出迎えてくれ、口々に「本間さん、稲澤さん、嶋田さん」などと声を掛け握手を求めるなど熱烈歓迎の意を示してくれた。サハリン第一歩の印象はいつもどおり万々歳であった。
  3.  空港を出た一同は、待機中の小型バスに乗車して一路宿泊先のホテルサハリンサッポロに向った。
     途中、道路の状況、両側の風景は以前のときと変わりがなかったが、行き交う自動車の多くなっているのに驚いた。そして、その大部分は日本製の廃車寸前の中古車であって、中には車体の側面に日本当時の会社名などが書かれたままのものも少からずあった。
     かつて廃車寸前の中古自動車が1台5万円以内の価格でどんどん輸出されていたと聞いていたので、現在の事情を通訳の具さんに尋ねてみた。具さんの話――現在中古車1台の取引価格は1台につき7、80万円だが、最近は自国製自動車保護の目的からロシア政府が取引規制を始めてきているので、日本からの輸入そのものがむずかしくなっている。従って、一時のようなボロ儲けはできない。又燃料のガソリンも日本での価格と比べれば相当安いということになるが、サハリンでの賃金水準からすれば結構高くつく、そして何よりも品不足で入手困難なため、ロシア人にとっては結構懐が痛いということである。
  4.  ホテルサハリンサッポロ、ここには今まで2回宿泊したことがあるので、見覚えがある。外観は、今までと変りがなかったが、内部は、空港と同様、改装されて綺麗になっていた。私の部屋は、2階の217号室でシングルルームである。旅行前の予測ではシングルルームは2室より確保できないということであったが、最終的に全員シングルルームが確保できたというので、それぞれが各別に指定の部屋に入った。各室とも、バス、トイレ、洗面台は日本のビジネスホテル程度に整備され、日本人向けの浴衣、スリッパも用意されていた。かつて、トイレットペーパー持参で訪れたころと比べ正に雲泥の差の様替りである。
     このホテルの権利関係について、ロシア側は、日ロの共同所有と説明していたが、私は以前これと異なる話を聞いていたので、俄かに信じ難かった。それにしても、宿泊料金が1泊朝食付きであるとしても2万1,000円というのは如何にも高過ぎる。ロシア人に対しても料金が同一なのだろうか。日ロを往復する定期航空路の料金も、日本人とロシア人とでは違うと聞いたことがあるので、一寸気になる。
  5.  ユジノサハリンスクに着いたその晩は、早々ロシア側で歓迎会を用意しているというので、訪問団の一同は、ホテルで一息入れたあと、まだ続く雨の中を指定されたレストランに向け出掛けた。レストランは、ホテルから程近くロシア料理の店であったが、私は今までこの店に立ち寄ったことがなかったので、店の名は承知していなかった。
     店に入って1階のホールの奥まったところにテーブルと椅子を横一列に並べてその手前側一列に主催者のロシア人男女が14、5名既に席に在って訪問団を待っていた。出席のロシア人は、いずれも現地の弁護士裁判官その他の法曹関係者であって、調停裁判所の所長といわれる方(女性)も居られた。ロシアの人達は、大方が初対面でありながら、非常に打ち解けた様子で、自国の司法制度の宣伝よりむしろ日本の司法制度の知得に関心があるように思われた。
     テーブル上には、盛り沢山のロシア料理の外ビール、ワイン、ウオッカ、ジュースなどの皿や瓶が処狭しと並べられていた。これだけ揃えると今夜の経費は結構な額になろうと推測したが、予め具さんから全額相手持ちだから遠慮しないでご馳走になれと言われていたので一同その言葉に従ったが、とに角大した振る舞いであった。
     会は、主催者代表者の歓迎の挨拶で始まり、訪問団団長房川先生の謝辞、これに次ぐ訪問団全員の簡単な自己紹介で進められた。交流10年の成果か、会は大いに盛り上がり、一息毎にロシア人の「乾盃」の掛け声で相互に盃が交わされた。だが、私は、アルコールが全く駄目なので、都度トマトジュースのコップで乾盃した。紋別の亀井先生には、女性唯一の参加の故をもって、特にバラの花が贈られ、先生殊の外感激のご様子であった。食べる、飲む、乾盃の続くなか、ホールに音楽が入って、先ずロシア人が立ち上って踊り始めた。次いで訪問団の方も私を除いて一同誘われるままに一人立ち、二人立ちしてロシア人とホール狭しと踊りに興じた。
     私は、抑留の当時からロシア人が良く食い、良く飲み、良く歌い、良く踊ることを知っていて、個人的には本当にお人好しであることを知っているのだが、それに政治、経済が搦んでくると――どうも良く解らない。
     賑やかな場面は限りなく続いた。時間が経つ程に訪問団が失礼したいと言っても「まだ早い。まだ早い」の返事で容易にお許しが出なかった。訪問団がこの会からやっと解放されたのは午後11時ころである。
     再び、雨の中をホテルに戻り、急ぎ入浴を済ませて就寝の仕度をしたが、ふと思いついて室内備付けのテレビのスイッチを入れたら、NHK夜10時のニュースの映像が入った。日本では10時過ぎということである。そこで、このテレビの終るのを待ってベッドに潜り込んだ。
     こうして私の訪問第1日が終った。

「あるラジオ台本 DJくまちんサハリン放浪記
(FMりべーる「トゥディズターゲット旭川」8/19放送分)」

旭川弁護士会  中 村 元 弥

 サハリンヘ行って参りました。なぜサハリンかとお思いでしょうが、実は北海道弁護士会連合会とサハリンの法律家とは定期的に交流を持っておりまして、一年おきにお互いを訪問するという慣行になっておりまして、今年は日本側からサハリンを訪問する年に当たっており、道弁連理事でありますクマちんもその一員として参加して参ったのでございます。まあ、滅多にいけないところヘいくというのはまた楽しいもので、結果オーライ。楽しい夏休みになりましたし、何よりラジオのネタが一杯。
 というわけでその山盛りのネタの中からお送りするわけでございます。
 総勢8人の一行が新千歳空港で集合いたしまして、ユジノサハリンスク行きの直通便に乗るわけでございますが、約一時間半のフライト。殆ど東京にいくような感覚でございます。もちろん東京より近いわけで、ジェット機じゃないから時間が掛かるわけですが。それで新千歳空港でバスに乗せられまして飛行機まで運ばれる。ここまでなら羽田でもよく経験している当たり前のことなんですが、このバスがどこまでも走るのよ。おいおい大概空港出はずれるよ、大丈夫?というあたりに向こうの方にちっちゃい飛行機らしきものが見えてきました。まあこれが汚い汚い。よう今時こんな汚い飛行機飛んどるな。というやつです。これにタラップと言うよりはしごのようなもので昇るわけでございます。中に入ると雰囲気はもう田舎のバス。今時相当田舎いかないと走っていないよと言うバスの気配。一応座席指定なので座席番号を確認しようと思ったら見あたらないんですね。おかしいなあと思ったら、荷物棚の所にちっちゃい札が打ち付けてある。老眼の人は絶対見えないよ。よく見ると操縦席へ続くドアは、安っぽい水色のペンキが塗ってあり木のドアなのよ。これが立て付けが悪いのか、バネが馬鹿になっているのか、着陸した途端パタンとあくのよ。ハイジャックさんいらっしゃい状態。イスがまた飛行機のイスとは思えんちゃっちいイス。後ろにも幾分かは倒れるんだけれど、上からヘタに体重かけると前にペたっと折り畳まれちゃうのよ。そんなんありか。お昼ご飯が出るんだけれど、その時になんか変だな、やりにくいなと思ったら、テーブルは確かに前の背もたれについているんだけど、コップをおく穴が開いていないのよ。だから揺れるもんだから常にコップ持ってないといけないのよ。堪忍して欲しい。
 久しぶりに飛行機に乗ってスリル満点。月に二回は飛行機乗ってる私も無事着陸するまで久しぶりの緊張感を味わったね。飛行機乗りの原点を見つめ直した思いだね。気分はもうライト兄弟かリリエンタールだね。誰やリリエンタールって。
 サハリンが近付いて下を見ますと日本と何が違うかと言いますと、川がうねうねと流れている、日本だったらとっくにまっすぐになって護岸工事されているであろう川が空港のごく近くを自然に流れているんですね。湿原のような平野がその周囲に延々と続いている。これも日本なら確実に全部ゴルフ場になってますわね。現にサハリン側もゴルフ場くらいは作りたいようなんですね。市長を訪問したときも日本の資本を誘致してゴルフ場を作りたい、今天然瓦斯開発で欧米の技術者が来ているんだけれどもその人たちが休日に遊ぶ場所がないということをおっしゃっていましたけれどね。
 さて、心配な入管や税関の手続も無事に終わりまして、我々は一路ホテルに向かったわけですが、案外に車が多いのにビックリしました。二年前に行った人に聞いても二年前に比べても格段に車が増えていると言うことで、町中は夕方になるとラッシュっぽい感じになっていましたね。渋滞まではしませんけれども。向こうは右側通行ですから、左折しようと思ったら信号1つ待たないといけないような状態になってましたね。走っている車も9割方が日本車だそうですよ。時々どっかで見たような会社の名前を書いた車が走っていたりするんですね。あれこんな会社サハリンに進出しているのかしらと思ったらおそらくは廃車になったのが流れてきたんでしょうね。盗難車かもしれませんけれど。ふと見ると札幌ナンバーの車が走っているんで、あれっと思ってよく見たら、日本のナンバープレート外さないでそのままロシアのナンバープレートつけて走っているんですね。それから道の途中で中古車を並べて、これも日本から持ってきたとおぼしき幟を、「車大売り出し」という日本語の幟を立てて売っているところがありましたけれども、どう考えても日本人の客はまずいないと思うんですが。それで殆ど日本車ということは当然右ハンドルです。左側通行に合わせて。しかしロシアは右側通行です。運転しにくいはずです。夜なんかすれ違う車のライトがこっちの方を向いているわけです。しかもロシアの人の運転は北海道も人のこと言えませんけれどもお上品とは言い難い。歩行者も相当なものです。四車線の所を三車線まで渡って分離帯も何にもない道の真ん中に突っ立ってもう残り一車線の開くのを待っているなんて風景がざらにありました。当然事故が多い。当て逃げひき逃げも多い。日本だと警察が車両の特定のために現場に落ちていた塗料の分析とかで割り出すでしょう。サハリンの警察の人がその資料や技術を日本から譲ってもらいたいと言っておられてなるほどと思いましたね。
 道路の作り方自体も考えた方がいいよと言うところがあって、四車線で片側二車線ならいいのですけれども、空港から市内に入る道路は三車線なんですよ。片側三車線じゃなくて全部で三車線。普通そういう場合は例えば左二本が空港行き、右一本だけが市内行きとか、あるいは朝と夕方で真ん中の車線を使い分けるとかするんですが、サハリンは違うね。真ん中は追い越し車線、しかも左右両方向共通、つまり、追い越しのためにどっち側の車線が使うかは早い者勝ち。そして交差点の手前になると突然そのまま左折レーン、日本的には右折レーンに変身。こりゃ便利って、そんなもの危ないだろう。同時に双方が追い越し始めたらどうするんだよ。北海道の郊外みたいに滅多に車通らないならいいけれども結構交通量あるんだから。本当にアバウト。
 町並みも見ていると興味深いですね。街の中心にあるのは殆どが旧ソ連時代に建てられたと思われるアパート風の建物ですね。これがもうかなり年季が入っております。時々出窓みたいにサンルーム風のを突き出しているんだけれども、これがどう見ても違法建築で、今にも落ちそうな庇の上に作ってみましたという代物で、下を歩くとちょっとした肝試しになったりしましてね。色々見て判ったんだけれども、単にお金がないというだけではなくて、そもそも建物を一から壊して作り直すという発想が基本的にないようですね。相当古い建物でも、本体の部分はいじらないでリフォームで新しい建物のようにしてしまう。基本的にそういうやり方なんですね。市役所なんかももうぼろぼろの建物なんですが、正面玄関周辺だけまるで芝居の書き割りのようにサイディングして立派に見せているんですね。何でもかんでもぶっつぶして新築する日本の建築文化というものを反省させられもします。
 そうした異文化に触れることで自分たちの生活や文化を見直すというのも旅の醍醐味の1つでしょうね。

  1曲目 ジェリー藤尾 遠くへ行きたい
 さて、サハリンに到着した初日の夜から、向こうの裁判官や弁護士が歓迎の一席を設けるというので、恐縮しながら出かけたわけですが、町中のサイゴンというレストラン、何でサハリンでサイゴンなのか判りませんが、料理も別に生春巻きが出るわけでもアオザイを来た人がいるわけでもありませんで普通のロシアの食べ物でしたけれども。
 それで向こうの弁護士さんや裁判官が三々五々と20人くらい集まってこられたのですが、2人くらいが男性で後は全員女性。どうもこちらが紋別の亀井さん以外はみんな男性なので気を遣ったのかもしれませんが、大変華やかな宴席でございます。元々ロシアでは弁護士や医者といった頭脳労働系の仕事は女性の仕事という意識が強いのかもしれませんで、少なくとも弁護士・裁判官の半数は女性ということでしたが、私たちがお目に掛かった範囲では女性の方が目立っている感じがしましたね。
 それでいよいよ宴会が始まるのですが、ここで恐れていたことが起こったんですね。私基本的にそんなに酒が飲めないのであります。まあビールをちびちびとおつきあいする程度なんですが、ロシアは何と言ってもウオッカでございます。しかもこれをストレートでぐいぐいあおる。客にも勧める。なかなか帰れない。そう聞いていたものだから、こちらも覚悟の上で胃薬などを持参して装備して行ったんだけれど、いきなりの乾杯からまずウオッカ。ワインとかも置いてあるのよ。でも客人はまずウオッカを飲まなければ、と言いながら自分たちは結構ワイン飲んでたりするんですが、いきなりウオッカ攻勢。それもよく聞くとウオッカ飲むときには胃袋を保護するために脂身の固まりみたいな物をまず食べてから飲むらしいんだけれど、チーズ類は出ていたけれど、それらしい物はなくてとにかく勧められ、つがれる。それでウオッカ自体も白樺の木を模したなかなかおしゃれな感じのビンに入っていて、開けると注ぎ口がポッカレモンみたいにあまり一気に出ないようになっているんですな。それでお猪口のちょっと大きいような物につがれて一気飲みですわ。また、ウオッカがもっとアルコール臭い物かと思ったら結構口当たりがいいんですわ。度数も35度くらいだったかな。それほどきつくない。だもんだから油断しているとクイクイいっちゃうんですな。後で後悔した弁護士が約一名いましたが、朝起きたらホテルの部屋の真ん中にミネラルウオーターの大きな空き瓶が転がっていたんだそうですが、全然記憶にないというんですが、シングルルームであんた以外に誰が飲むかいな。金も取らんと水だけ飲み逃げする泥棒がおるかいな。
 宴もたけなわになりますと、サハリンではそういう店が多いんですが、生バンドが演奏するんですね。普通のレストランに生バンドが入って演奏して、スペースに余裕のある店ではお客が踊れるスペースが作られているんですね。リズミカルな曲がかかるとそこにお客が集まって踊り狂うわけであります。サンロク街にもどことはいいませんが、おばちゃんたちが集まって踊り狂う店がありましたが、ロシアの女性弁護士・裁判官もパワフルに踊りまくるわけでございます。私も踊りの輸の中におずおずと参加したんだけれども、いっときますけれど決してこっちから強要した訳でもセクハラでもないですからね。言うだけ怪しいって。それを、よしゃいいのにビデオカメラを回している奴がおる。戻ってからそのビデオを弁護士会の事務局の女性が借りて自宅で見ていたら、子供さんがそれを見て「ママ、これって浮気って言うんでしょ」。教育上重大な問題が発生しとるやないか。違います。浮気はビデオにわざわざ撮りません。
 夜の6時から始まった宴会が夜の10時を過ぎても終わる気配がない。日本のように二次会三次会で自然にフェイドアウトという手が使えないんでありますね。さすがに10時過ぎてそろそろ帰りたいというと、12時までは付き合うのが客の義務だといわれまして、そういわれるとこっちもタダ酒飲んでる弱みがありますので、11時くらいで妥協したんですが、向こうは随分不満そうな顔をしていましたな。せっかくこんなに盛り上がっていたのに、自分たちの接待の仕方に何か不備があったからへそを曲げて帰ったのだろうかとかなり真面目に心配するようなんでありますね。
 さて、このサイゴンのミニディスコではあまり聞き覚えのない曲が、色々かかりまして、ロシアにおける流行歌の類なのでしょうかね、日本のニューミュージックのメロディラインに近い曲が多いような気がしましたがね。二年前には今札幌市長になられた上田弁護士がロシア民謡を朗々と歌われて拍手喝采を受けたそうですが、亀井さんくらいの年代になると、日本のある年代以上がロシア民謡に詳しいということが理解できないようですね。うたごえ喫茶なんて言ったって何それという感じのようです。亀井さんがバンドの人にタトゥーをやってくれと言ったら、できないと断られてましたけれども、サハリンにおいても中年以上の世代でも名前は知っていても、うーんと眉をひそめるという存在のようであります。それでは日本では中年以上はよく知っているロシア民謡の大御所を。

  2・3曲目 ダークダックス すずらん/カチューシャ
  コマーシャル
 何も我々は、サハリンに遊びに行ったわけではなくて、サハリンの法律家事情を視察に行ったわけでありまして、二日目からは裁判所・検察庁・刑務所などを視察したわけであります。どこかの市会議員みたいに観光地ばっかり視察していません。そもそも自腹切って行ってます。もっとも観光しようにも大して観光するような所もないんですけれどもね。
 裁判所の法廷にも行って見学してきましたが、ロシアの法廷というのは、被告人の座るところが檻になっているんですね。実際にどの程度使っているのかは判らなかったんですが、我々からするとちょっと違和感がございます。まあマフィア関係の事件とか色々あるんでしょうけれどね。後面白かったのは、普通の事件でもテレビカメラが常に入って回していることなんですね。それもかなり自由自在に動いて審理中もカメラ回しているんですね。実際にどの程度放送で使うかは判りませんけれども、検察事務官が書面を朗読しているときにその背後から書面をのぞき込むようにとっていたり、また傍聴席側を前からなめるようにカメラ回してたりするんですね。日本だと必ず傍聴席の後ろから傍聴人の顔が写らないように撮りますよね。もう法廷に来るときには写されることは覚悟してこいという感じなんでしょうね。
 法廷ものどかなもんで、審理の真っ最中に携帯の着メロが鳴っとるんですよ。私はてっきり日本の弁護士の誰かがうれしがって国際通話できる携帯持ってきてオフにしてなかったんやなと思っていたんですが、しばらくして着メロが鳴りやんだころに、検察事務官がおもむろにバッグを開けて携帯を確認しているんですね。何やお前かい。そもそも法廷で携帯はオフにしとかんかい。日本の感覚なら鳴った途端に大慌てで平謝りのはずですが、この女性検察事務官、いっこうに悪びれる様子もなく平然としておりますので、こちらがかえってビックリしてしまいます。
 さて、昼飯の時にサハリンの弁護士会会長という方にお会いしましたが、この方は伝説の人物だそうでして、旧ソ連時代に逸話を残しておられるんですね。この方は弁護士になる前に警察官をしておられたんですが、ソ連時代は党幹部の車というのはいくらスピード違反しようが赤信号無視しようがフリーパスだったそうです。もちろんそこまでの特権が法律上あったわけではないんですが、みんな黙認していたわけです。ところがこの物わかりの良くない会長さんは、党の幹部の車、それもナンバー001だから誰でも知っている第一書記の車に対してスピード違反の切符を切っちゃったんですね。上司から首が怖くないのかと言われたそうですが、私は私の職務を尽くしているだけだと一歩も引かなかったそうです。そしてそんなことなら辞めてやると自分から辞表を叩きつけたんですね。その後予審判事という仕事をなさったときも、殺人事件でこれは正当防衛だから無罪だと主張して、上司から考え直すように言われてもガンとして貫いて、最後にはモスクワの方の検察庁で自分の見解が正しいと認めてくれたということがあったそうであります。
 この方になぜ弁護士になったのかとお聞きしたところ、自由だから、人の言うことを聞かなくていいから、最後には自分しか責任を負わないからと言っておられました。では、北国を旅する男の歌を。

  4曲目 小林旭 熱き心に
 さて、珍しいところでは刑務所も見学したのでありますが、今までは裁判所でもどこでもビックリするくらい全く自由に撮影させてくれたんですが、さすがに刑務所は収容者の人権を理由に写真はダメということでしたが、唯一撮影を許されたのは収容者が建てたというロシア正教の教会でして、これがなかなか良くできた建物でして、これだけは撮っていいということでした。でもその建物を管理している担当の収容者がいるんだけれども、それも写ってしまうけれどもそれはいいのかと言ったらそれはいいと言うんですね。この辺が極めていい加減で、実は他の建物のひどい状態を写されたくないだけじゃないのか、自慢の建物だけ写させたいのじゃないかと勘ぐってしまいます。日本でも過剰拘禁、人が定員以上になっているということが問題になっております。サハリンの刑務所もかなりひどい状態です。私が見た部屋は一部屋に22人、二段ベッドが7本並んでそれで14人、それでも足りないので窓際に更に4本並べて8人、合計22人。二段ベッドといっても我々の考えるような物とは違って寝返りうったらすぐにはみ出すようなちっちゃいベッドなんですよ。これは2、3日ならまだ辛抱できるけれど、これで何年も暮らした日にはノイローゼになるよ。
 刑務所の所長さんに聞くと一番つらいのは、収容者たちに与える仕事がないということなんですね。現に確かに昼間から所在なげにぶらぶらしている人が目に付くのです。昔はサハリンの刑務所は家具の製作で有名で独占企業のような状態だったそうです。しかし、今は大陸の工場に負けてしまって、若い収容者にやらせる仕事がない。それがつらいと言っておられました。今の主な仕事は道路舗装用のタイル、日本でも歩道に最近よく敷かれている水を通しやすいタイル、あれですね。あれを製作しているそうです。

 もちろん今でも木製品の類は色々作っているようでして、刑務所を管理するセクションの方にお会いしたときには「おみやげ」として収容者の方の作ったチェス台、駒もついた奴、この駒がなかなかおしゃれな彫り物のされた立派な物なんですが、これを頂きまして恐縮いたしました。それはありがたかったんですが、困ったのが帰りの時。日本へ帰るとき。普通箱か袋かくれるだろう。何にもなし。むき身。ひもも掛けてない。しょうがないから、チェス台は天板と下の台に分けて、駒は駒で分けて、三人がかりで怪訝な顔をされながら税関を通過したのでありますね。今は札幌弁護士会館に安置されていると思いますがね。
 さて、三日目に視察が終わってから小一時間ほど市内観光をしたんですが、街の北のはずれに勝利の広場というところがあります。第二次世界大戦の戦勝を祝って、サハリンを日本軍から解放したということを記念する広場なんですけれどもね。高台に戦車が飾ってあって、これが街の方に砲身を向けているんです。函館の嶋田さんという弁護士さん、もう84歳の方なんですが、この方ロシア語がある程度しゃべれるんです。なぜかというとこの方シベリアに抑留されていたんですね。この方がその戦車を見ながら、私は満州にいたんだけれども、二ついた部隊のうち嶋田先生の所属していた方ではない方の部隊は、この戦車部隊と闘って半分以上が亡くなってしまわれたんだそうです。実際に戦争を体験した方にそうした話を聞くと非常な重みを感じますね。我々ともすればそうした話は避けようとしがちなのでしょうが、体験者の方はやはり語り伝えたいというお気持ちがおありでしょうからね、そうした気持ちに報いる意味で我々も話を聞いて更に下の世代に語りかける気持ちを持ち続けなければと思います。

  5曲目 新井英一 ともしび
 さて、サハリンでもある弁護士の事務所を訪問したんですが、アレキサンダーとかいうおっさんですが、これがテンション高い。約束の時間に事務所に行ったらまだ戻っていないと言うことで待っていたら、そうこうするうちにバタバタと戻ってきた弁護士が法廷でのテンションそのままにわれわれと握手しまくって、昼間からいきなりウオッカ出してつぎまくって、乾杯して自分もぐいぐい飲んで身振り手振りで大演説。その上、私の妻は水産会社を経営しているから、明日はそこへ行って一緒にバーベキューパーティーをやらないかと明日のセッティングまでご丁寧にしてくれまして、翌日天気は良くなかったんですが、その水産会社へ行ったんですね。ユジノサハリンスクから50キロくらい離れた場所だということだったんですが、1時間半掛かるというのです。おかしいなあ、いくら何でも平均時速30キロなんてはずはないのにと思って向かったら理由が判りました。
 ハイウェイをしばらく走って海に突き当たると、そこからは道路ではなくもろに海岸を走るんです。まっすぐな海岸を走るから快適だと思うでしょう。しかしそれは能登半島の渚ドライブウェイとかを走った間違った認職です。自然の海岸はあんなに平たくありません。でっこぼこ。がったんがったん。まっすぐ前に進む距離よりその間に上下に揺れる幅の方が長いんじゃないかというやつで、そりゃ時速5キロ10キロだぜ。このままゆられ続けたらミンチになるんじゃないかというくらい揺られてやっと目的地までたどり着きました。
 そしたら例のテンションの高い弁護士が出迎えて、今この船でますを捕ってるんだといって、船と加工場を見せるんですね。あげくにはこの船で沖まで行ってそこで酒盛りをしようなどと言い始める。なんかわからんうちに、とうとう漁船に乗り移る羽目になりまして、これがまた揺れる揺れる。それで沖の定置網から魚捕っている船まで行ってこれに飛び移るんですな。これまた大変。やっとの思いで乗り移ったら、折悪しく雨が降り始めまして、しかもこれが相当の大雨。元々あまり人が乗ることを予定していない漁船なものだから、そうなったらなかなか雨宿りする場所もない状態になりまして、全員濡れ鼠。私、よく雨を通さないパーカーを着ていったもんだと思って、一安心していたんですが、そんな中でも例のテンションの高い弁護士は釣りを始めるのです。日本の弁護士にも釣り竿を渡してちょっとした日露釣り対決ですわ。最初のうちはホッケとかアブラコとか快調に掛かっていたんですが、そのうち不器用なのか糸を絡めてしまって大騒動。普通ならギブアップして別の糸を出すんですが、どういう訳か一生懸命ほどこうとしているんですな。どうもスペアを持っていないらしいんですわ。偉いけちくさい釣りやなと思って見ていたんですが。
 そうこうするうちに船も港に戻りまして、簡単な梯子段のような所をロープを伝わって岸壁まで昇るんですが、船の上でいい加減ウオッカ飲まされていますから、足許の危ない人が約一名いまして、まず最初に私が上がって次の人だったんですが、私、絶対落ちたと思いましたね。多分本人もそう思ったと思いますけれど、足の下は海でしたわ。そこから腕の力で奇跡的に体勢を立て直して岸壁に上がりましたけれどね。私は確実に次を考えてましたね。どうやって助けようか、とね。
 そんなこんなのうちに全員無事に生還しまして、小高い丘の上でバーベキューパーティーになったんですが、これがまたウオッカ攻勢ですわ。この前のお猪口と違って紙コップだから、その上それでもストレートだから、もう大変。食い物も肉の焼いたのが出てくるわ。ますの子があるわ。魚のスープは出るわ。パンはあるわ。足許に子犬がからみついてきたのでパンをあげたら、見向きもしない。肉をあげたらペロッと食いやがる。ロシアの犬は肉食の名残を色濃くとどめているね。それで我々もいい加減腹が一杯になったところで、テンションの高い弁護士がカニを持ってきまして、これがタラバなんだけれど釧路の弁護士に言わせればこれはタラバとは呼べない、俺に言わせればズワイだというくらいやせたちっちゃいタラバでして、水産資源の枯渇も深刻だなと思わせられた状況ですが、テンションの高い弁護士がここでカニの甲羅を外して甲羅酒ですわ。それもウオッカ。回し飲み。それだけではなくて、今度はますの唐揚げをこれでもかと持ってくる、もったいないけどもう食えん。
 まあ、漁船に乗るなんてことはまず経験もないことでして、海の男は大変だわと改めて感銘した次第でございます。というわけで、懐かしいこの歌を聴いてみたくなりました。

  6曲目 村木賢吉 おやじの海
  コマーシャル/エンディング


サハリン訪問雑感

旭川弁護士会  八重樫 和 裕

  1.  サハリンへ訪問する前のとある弁護士との会話。
     「向こうへ行ったら、とにかくウオッカを飲まされるから気をつけないと」
     「そうですね、考えて飲まないといけませんね」(子供じゃあるまいし、そんなことわかってるわい)
     「宴会は延々と続き、日本のように2時間でお開きというわけにはいかない、酔わないと帰してくれないよ」
     「予め団長から、適当に終わるように言って貰いましょうね」(時間が長いなら、ごまかしながら飲んでればいいや)
  2.  1日目の夜の歓迎会。
     先輩のアドバイスを忘れず、そろそろと飲み始める。ワイン、ウオッカ、ウイスキー、いずれも考えながら飲む。
     そのうちある程度食事も終わり、生バンドの前のスペースでディスコタイム(?)が始まる。誘われるままに楽しくタコ踊り(ダンスになっていない)やチークダンス(これは慣れている)を踊り、席に戻ってはウオッカをぐいっと飲む。
     こんなことを繰り返しているうちに、気づくと私の席のテーブルの上にウオッカが2本も空になっていた。誰が飲んだんだろう。でも、ウオッカはけっこうぐいぐい飲めるなあーと、止まらない。
     ホテルへ帰って、自室に行く廊下、まっすぐ歩けず両側の壁をつたいながら歩いていた(中村元弥弁護士目撃談)。
     後に同行者へ尋ねると、私と亀井真紀弁護士の2人でくいっ、くいっと飲み、2本空けたそうだ。
     翌日は案の定二日酔い。ひたすら1リットルのミネラルウォーターを飲みつつ、ビデオの記録係に徹する。
     先輩の忠告をうわの空で聞いていた報いが1日目に訪れたのであった。(申し訳ありません)
  3.  そんなことで始まったサハリン訪問ですが、サハリン州の刑務所を見学したので以下はその報告をします。
     バスに揺られながら、刑務所入口へ。道路は未舗装でデコボコ道に水溜りもあり、20〜30年前の日本の田舎の様子。入口の様子を撮ろうとビデオを向けると駄目だとのこと。でも、道路から入口を映すのであり、誰でも見られるところなのに……。
     パスポートを預けて、構内へ。刑務所の印象は非常に古く、老朽化した施設というもの。塀の上の看視所などは今にも倒れそうな様子。
     日本の刑務所と一番違うのは、日本であれば最初に管理棟があり、収容棟とは廊下で連結されていて、全体が葉脈の如く一つの建物となっているが、サハリンの刑務所は全く様子が異なる。
     入口を抜けると、大きな敷地内へ出てしまう。見まわすと広い敷地に点々と建物が建っている。管理棟は比較的新しく、しっかりした建物なのですぐわかるが、受刑者がどこに収容されているかはわからない。
     まるで荒れた工場敷地内の様子である。
  4. 最初に小さな畑地(野菜を栽培している)、温室、豚小屋を案内された。小規模なもので誰の食料をまかなっているのか……建物は昭和30年代の農家の風。
     パン工場、図書室(蔵書は少なく、古い)、教会をまわる。教会は新しいもので、ここでは撮影を許された。刑務所の様子が珍しいのでビデオをぐるっと回し、敷地内全体を撮ってきた。
     居住棟へ行く。広い敷地の一画を鉄柵で囲い、その中に日本で言うと会社の古い独身寮風の建物があった。2階建のその一室を見学したが、約16畳ほどの一室に22名が収容されている。2段ベッドがずらっと並んでおり、房内でくつろげるスペースはない。その上、ベッドは上下2人ずつで、1人のスペースは昔のB寝台のベッドとそっくりであり、非常に狭い。ベッドには仕切りも柵もないので、男2人が隣り合って寝るにはきついと思われた。抱き合ってでも寝ないと上の2人は落ちそうである。
  5.  刑務作業はほとんどなく、社会でも失業率が高く、受刑者に与える仕事は確保できないとのこと。受刑者は毎日、何もすることなくぶらぶらして過ごしている。日本のように房内に閉じ込められておらず、日中は房を出て、鉄柵で囲われた中では自由にしていられ、居住棟内か、その外の空地で時間を費やしていた。
     昔は家具の生産工場として有名だったそうだが、今はその仕事もなくなっている。刑務所長は「健康な若い人が1日何もすることなくぶらぶらしているのを見るのはつらい」と漏らしていた。
     歩道などに敷くブロックの生産を始めていたが、まだ量は少ない様子だった。
  6.  私はロンドン、ベルリン、アムステルダム、北京、上海や日本国内の刑務所を数多く見て来たが、環境的には1番劣悪な刑務所であった。サハリン州にはもう1カ所、別な刑務所があり、そちらは整備されているかもしれないし、重い刑の者は大陸の刑務所へ移送するそうであるから、ここの刑務所だけ特に整備が遅れているのかもしれない。
     見学前、懇談した際に「日本では刑務所内で赤ちゃんが産まれたときはどうしていますか」との質問があった。日本と違い、いわゆる「夫婦面会」を認めているのである。2人だけで個室で面会させるから、女子受刑者が出産することがあり得るのである。受刑者と家族との交通を絶やさないようにしようとする姿勢は日本より進んでいる。
  7.  4泊5日の日程であったが、裁判所、検察庁、刑務所、弁護士事務所など、サハリンの司法事情の一端を、一通り見聞することができた。
     隔年に出かけて行きながら、毎回、見学の域を出ないのはもったいない。そろそろ、資料等を準備し、本格的に両国の司法制度の問題を議論し、理解を深める段階に移っても良いのではないかと感じました。

サハリン事情

旭川弁護士会  吉 岡 征 雄

 7月30日、40人乗りのプロペラ機は、約30分遅れで千歳空港を離陸した。ほぼ満席で、日本人は我々8名の他十数名。頭上の荷物台(オープン)あたりから白い煙(?)のようなものが出ているが、客室乗務員(ロシア人女性2名)にあわてた様子がないので問題はないのだろなどと思っているうちに王子ホテル製の機内食のサービスがあり、1時間半の飛行時間でユジノサハリンスク空港に無事着陸。稚内―コルサコフ間は船で5時間半、稚内―千歳間は列車で約6時間であることから稚内の位置づけを再確認した次第である。
 今回の旅は4泊5日の短期間ではあったが、内容豊富なスケジュールとロシア側の積極的な協力姿勢のお陰で極めて充実した旅であった。
 ロシアは経済的にはまだまだであることは否めないが、率直に言って、道内の多くの都市に比べると活気が感じられた。サハリンの地下資源(石油、天然ガス等)の開発が進んでおり、このことは稚内港の輸出入額が重機類を中心にこの半年で前年同期比の2倍近い数字となって現れているところで、今後北海道にとってサハリンが重要な位置を示すものと予想されるところである。帰国後、早速ロシアとの取引がらみの相談があり、サハリン法曹との交流をさらに発展させていくことの必要性を強く感じている。

  1.  法務・検察事情
    ・人口約80万人のサハリン州(クリル=千島列島を含む20地域)に配属されている検察職員は約250名、その内検事20名、その半数が女性。検事の下には一般職員のほか経験5年未満の検事補がいる。
    ・ソ連からロシアに変わった後検事は希望しなければ転勤しないで良くなったが、最近はこれに対する批判が出ている。
    ・検察は法務省、警察は内務省と全く別の機関であるが、検察には警察に対する監督権限がある。
    ・犯罪は増加傾向にあり、この半年で約9,000件(刑事事件が7,500件で、1,500件は行政罰かと思われる)。
    ・裁判件数は、半年で約1,600件。
    ・犯罪の増加といっても一般事件はほぼ横ばいで、交通事故(刑事罰は死亡事故だけ)と薬物事犯、テロによるものが増加要因となっている。
    ・取調べは原則として弁護士立会のもとで行われ、弁護士立会のもとで作成された調書でなければ証拠能力が認められない。それでも公判段階で調書の任意性や信用性が争われることがよくあるという説明があり、実情はよく理解できなかった。
    取調べの可視性確保のため、ビデオや録音テープが活用されているとの説明もあった
    ・警察とは別に法務省にも鑑識の機関がある(日本では鑑識の機関が法務省にないのは信じられないということだった)。
    ・最近ひき逃げ事件が増加しており、日本車のカタログを入手したいという希望者があった。
    ・女性受刑者の出産問題に頭を痛めている(受刑者への面会は、夫が1週間同室することが認められているという)。
    前科者は警察に登録され、刑終了後も出頭命令を出すなどして監視を継続している。
    ・薬物犯罪者、精神障害の犯罪者に対しては指定病院の完治の証明がなければ自由を保障されない。
    ・視察した刑務所には刑務作業をせずブラブラしている者が多く、担当官の説明では、刑務作業の受注がないため困っているとのことであった。しかし、帰国後、サハリンからきている研修生(弁護士資格を持ち企業法務を担当)に聞いたところ、我々が見学した施設には未決囚が主に収容されているということだったので、ブラブラしていた人の多くは未決囚だったのかもしれない。
  2.  市民生活事情
    (a) レーニン
    ・ソ連の崩壊により、主要都市レニングラードの地名が消えたことから、レーニンに対する評価が180度変わったのかと思っていたが、市役所前にレーニン広場があり、大きなレーニン像が目立っていただけでなく、裁判所長の部屋(所長席の後ろ)にレーニンの肖像画が掛けてあった。レーニンに対する評価がどうなっているか知りたいものである。
    (b) 防犯対策
    ・集合住宅の各階段1階入口には扉があり、夜間はその扉を閉めて、第三者が階段を上がれないようになっている。
    ・店舗は同様に入口扉が鋼鉄製になっているだけでなく、1階窓には鋼鉄製の飾りや格子窓があって窓からの侵入を防いでいる。
    ・鉄道の駅や街には多数の小店舗(KIOSK)があるが、店舗はガラスや合成樹脂等で囲まれており、商品はその内側に陳列し、パチンコの景品交換所の2倍位の小窓から商品と現金の受け渡しをするようになっている。
    乗用車には防犯ブザーの設備をそなえているものが多く、街のあちこちでブザーが鳴っている。
    ・交通事故の増加が社会問題となっているが(市役所前の交差点を通行する時、直進と右折の接触事故の実況見分中であった)、道路標識、標示が少ないことや舗装道路が少なく、市内中心街を外れると、三車線道路(中央の道路が追い越し、右左折用)があることなどまだまだ事故防止対策が不十分な点もあると感じられた。
    (c) その他
    ・建物は一般的に古いものが多く、新築の建物(建設中も含む)もチラホラ目に付いたが、住宅、オフィスビル、ホテルのいずれをとっても改装中のものが目立っていた。宿泊したホテルも改造したらしく、部屋は以前シングル2部屋として使用していたものを一室に改造しており快適であった。その改造も部屋ごとに異なっていたものは興味深かったが、その理由の正確なところは分からなかった。
    ・消費生活面では、個々の商品の質の面ではやや物足りなさを感じるものの、量的には、市民を十分満足させるだけのものがあったように見受けられた。
    ・食事は予想以上に美味で、野菜も新鮮なものが多く、スープ類も概して良く、4泊5日の滞在中にはなんらの不満も感じなかった。
    ・気候は稚内とほとんど変わらないように思ったが、多くの人がコートを着ており、誰もコートを着ていない我々グループが浮いているように感じたのは単に生活習慣の違いだったのだろうか。


    2003年サハリン視察旅行を終えて

    札幌弁護士会  本 間 裕 邦
  1.  サハリン州の法律家との交流も10年が経過し、相互訪問も恒例化しつつあります。
    本年も北海道の弁護士8名がサハリン州を訪れ、交流を深めてきました。
     今回の視察における交流の実情や雰囲気は他の参加者の報告や感想をお読み下されば、感じ取って頂けると思います。
     日程については、釧路の稲澤優会員が紹介されていますので、ご参照下さい。
    今回の参加者は下記のとおりです。
    参   加   者 
    1. 稲 澤   優 会 員・・・・・・・・・・釧路弁護士会
    2. 亀 井 真 紀 会 員・・・・・・・・・旭川弁護士会
    3. 嶋 田   敬 会 員・・・・・・・・・・函館弁護士会
    4. 中 村 元 弥 会 員・・・・・・・・・旭川弁護士会
    5. 房 川 樹 芳 会 員・・・・・・・・・札幌弁護士会
    6. 八重樫 和 裕 会 員・・・・・・・・旭川弁護士会
    7. 吉 岡 征 雄 会 員・・・・・・・・・旭川弁護士会
    8. 本 間 裕 邦 会 員・・・・・・・・・札幌弁護士会
    (尚、順番は原則五十音順です)
  2.  私自身は今回で4回目の訪ロとなります。
     当初から添乗員的な立場で参加していますので、参加者の皆さんが事故なく無事に北海道に帰って来ると毎回ほっとします。
     今はもうそんなことはありませんが、帰りの航空券が発券されているのに、その航空券は無効だから使えなくなったと突然言われ、不幸中の幸いと言うべきか本来の搭乗便の数時間後に出発する臨時便があったのでそれに搭乗して帰国したということも最初の頃はありました。
     また、サハリンの弁護士の自家用車に乗せてもらうこともありましたが、日本で言えば簡易舗装程度でガードレールもない郊外の道路を100キロくらいの速度で走るので、大丈夫かと思うこともありました。もっとも、いつもはマイクロバスを貸切にして皆で移動するのですが……。
     更に、下ネタで申し訳ありませんが、最初の頃は役所のトイレに入ったはいいが、便器が壊れていて肝心の用が足せないということもありました。
  3.  しかし、最近ではこのような事情はかなり改善されています。
     通常、観光客が入るホテルやレストラン等のトイレは全くきれいです。多少、公的な建物のトイレできれいではないところも残ってはいますが。
     車も10年前からみると非常に増えています。今回は中心街では交通渋滞になりかけることもありました。
     また、建物が改装、リニューアルされて綺麗になっているのも今回特筆すべきことと思います。裁判所や検察局、法務局は内装が綺麗に改装されていて、前の暗い感じは全くなくなり、明るいオフィスという感じでした。
     デパートやスーパーの陳列商品も今は豊富にあり、スカスカだった10年前がうそのようです。
     油田、ガス田開発等による経済発展の影響が徐々にユジノサハリンスク市にも現れてきているのかもしれません。
  4.  ロシアの人は相変わらず人懐こく、パワフルで、良く食べ、良く飲み、良く歌い、良く踊ります。これに最後まで付き合うことは不可能ではないかとさえ思います。
     他の参加者も言われていますが、特に女性のパワーは目を見張るものがあり、毎回、行く度にこの人たちから元気を貰ってくる感じです。
     個人としての付き合いから組織同士の交流に広がればいいと思いますが、サハリンの組織が北海道ほどしっかりしていないようなので、なかなか難しいところもあります。
  5.  サハリン州の法律家との交流の際は、いつも渡航準備や受け入れ準備等事務手続に追われてしまうことと、お互いの実情を概括的に紹介し合うことに時間がかかることとで、法律の専門的な論点について深まった議論をするところまで至らないままになっている点は否定できません。
     確かに、交流を続けて1人でもサハリンと北海道の理解者を増やすことは重要なことでありますが、そろそろ実務的な交流も検討しなければならないのかもしれません。
     そうなると、当然に双方で相手方の言葉と法律を勉強しなければなりません。これは「言うは易し、行うは難し」でして、実行に相当な困難を伴うことは明らかです。
     今までの私どもの力だけでは到底実現できないことですので、是非ともロシアに関心のあるい会員に参加して頂き、力になって頂くことを希望致します(実年齢を問わずやる気がある方は大歓迎です)。