提案理由

1.基本的視点(全ての市民が利用し易い裁判手続の必要性)

内閣官房に設置された「裁判手続等のIT化検討会」(以下「検討会」という。)が、2018年(平成30年)3月30日に発表した「裁判手続等のIT化に向けた取りまとめ――『3つのe』の実現に向けて――」(以下「本取りまとめ」という。)は、迅速かつ充実した裁判を実現すること、及び、そのためにIT化を推進する方策について検討する、という方向性を示している。

より利用し易い裁判制度を実現すること、そのために、いわゆるIT化を進めることについては、日本弁護士連合会も、2011年(平成23年)をはじめ、弁護士業務改革シンポジウムにおいて3度取り上げて検討するなど積極的に検討を重ねてきた。2018年(平成30年)1月19日に改訂された「民事司法改革グランドデザイン」においても、その利用の拡大を訴えており、社会の様々な分野においてIT(情報技術)が普及している今日の状況にも鑑みると、裁判手続等のIT化が、全ての市民が利用し易い裁判手続の実現に資するものであれば、社会的に必要性が高いものであり、かつ望ましい方向性であるといえる。

もっとも、裁判手続等のIT化を進めることが、いわゆる社会的・経済的弱者による裁判制度の利用をかえって困難にして、その結果、裁判を受ける権利が侵害される可能性も危惧されるところである。

本取りまとめにおいては、「裁判手続等のIT化は、紛争解決インフラの国際競争力強化、裁判に関わる事務負担の合理化、費用対効果等の総合的観点からも推進すべき」「現行法の枠を超えて、訴えの提起・申立てからその後の手続に至るまで、基本的に紙媒体の存在を念頭に置かないIT化への抜本的対応を視野に入れる必要がある」(第2の2項(1))などとして、「合理化」とIT化の徹底が謳われている一方で、そもそもITシステムを利用する物理的環境が整っていない、あるいはITを使いこなす能力が十分ではない市民の問題については、現状の把握も、検討もなされていない。

本取りまとめの意味するところが、国際競争に関わる企業の利益を重視し、市民が利用し易い裁判手続という視点を軽視するものだとすれば、そのような姿勢で裁判手続等のIT化を進めることは大いに問題である。

人権保障の最後の砦ともいわれる裁判制度が、一部の者だけを利する形で改変されることはあってはならないのはいうまでもないことであって、広く社会的・経済的弱者の権利にも十分に配慮した制度設計を行うことが必要不可欠である。

2.地域司法の充実の必要性

裁判手続等のIT化は、地理的に法的相談・解決手段へのアクセスに困難を抱える司法過疎地の地域住民の裁判を受ける権利の保障にも資するものでなければならない。

しかし、そのような視点を欠いたIT化の推進により、当事者・代理人の出頭を要しない裁判手続が大幅に拡充されることになれば、小規模庁、とりわけ裁判所の支部では、裁判官を最低限必要な手続のみが行われる日のみ在庁させることとして、裁判官の常駐はおろか定期的な塡補すらも不要とすることを常態化させ、支部の統廃合を含む裁判所機能の大規模庁への集約を促進しかねないが、こうした事態は全ての市民にあまねく司法サービスを保障する観点からは認めることはできない。

特に北海道は、広大な面積を有することに加え、冬期間は交通障害が発生する場合も多く、支部の統廃合や大規模庁への機能集約は、道民の裁判を受ける権利の侵害を直ちに招来するといっても過言ではない。

また、裁判所支部の統廃合を阻止するためには、支部の受理件数を増やすことが効果的であり、IT化推進によって弁護士が裁判所支部庁舎よりもさらに離れた地域で開業するなどして受理件数を増やすべきである、といった意見もある。しかし、司法過疎の問題は、そもそも地域の過疎問題に起因する法律事務所の経済的基盤確保の困難さや、裁判所支部の開廷日数の少なさや取扱事件の限定による裁判所の利用しづらさなど、様々な要因によるものであって、裁判所支部への出頭が不要になれば支部の受理件数が大幅に増加する、などということは考え難い。

裁判手続等のIT化の進行に伴ってIT面での支援を担うべきは、第一義的に当該地域の裁判所である。また、裁判等の司法手続全般の利用機会の保障という観点からも、地域に拠点を構えた裁判所が存在し、その機能を充実させていくことが求められている。地域司法の充実の要請に逆行する裁判手続等のIT化は本末転倒であって、地域で重要な役割を果たす裁判所がIT化の名のもとに統廃合・集約をされることがあってはならない。

3.その他の問題点

上記のほかにも、技術的安全性の確保、「IT支援」に名を借りた非弁活動増加の危険性等、様々な問題点が指摘されている。

特に、裁判の傍聴が画像を通してしか行えなくなるのであれば、裁判の公開原則との関係で問題である。裁判の公開は憲法上の要請であり(憲法第82条)、裁判官の訴訟指揮を直接、国民(市民)が傍聴し、監視できるようにすることは必須である。こうした憲法上の原則に反する制度設計は許されない。

また、この問題についての検討のあり方にも注意が必要である。検討会は、本取りまとめの完成を以って終了したにも拘らず、2019年(令和元年)5月31日に再開され、その中では、「倒産手続のIT化」にも触れられたということである。本取りまとめの後、民事裁判手続のIT化については、公益社団法人商事法務研究会の「民事裁判手続等IT化研究会」において、裁判手続等のIT化の様々な問題点も含め、具体的な検討・制度設計を行っているところであり、結論を得ていないにも拘わらず、民事裁判手続以外についても検討を行おうとしている姿勢は、丁寧な議論を行わないまま、一部の利用者のみの利便性を重視して、裁判手続等のIT化を推進しようとしているのではないかという疑念を払拭し得ない。

4.結語

裁判手続等のIT化についての検討は、上記のとおり現在も継続的に行われているところであり、2020年(令和2年)2月頃には、札幌地方裁判所をはじめ全国の9ヶ所の裁判所において、ウェブ会議等を活用した争点整理手続の運用が開始される予定である。また、その頃には民事訴訟法の見直しが法制審議会に諮問される見通しという報道もある。

当連合会は、2019年(平成31年)2月16日に「北海道における裁判手続等のIT化に関する理事長声明」を発するなどして、検討を継続しつつ問題を提起してきた。

裁判手続等のIT化に関し、当連合会は、国に対し、全ての市民の裁判を受ける権利の保障の充実、特に地域司法の充実に資するものになるように丁寧な検討、制度設計を行うことを強く求める。

以上